コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ ロミオとジュリエット2008. 6.16

言わずと知れたイギリスの作家シェイクスピアの戯曲の名作である。
映画も何度かリメイクされて世界中で大ヒットしたオリヴィア・ハッセーとレナード・ホワイティングの作品があるが、このハッセーさんは何と日本人の歌手の布施明という男性と一時期結婚し、日本のテレビコマーシャルまで出ていたが、近年は「マザー・テレサ」という映画でそのやや老いたとは言え、円熟した存在感のある演技を往年の映画ファンに見せてくれた。
ロミオとジュリエットはイタリアが舞台であったが、この作品には題材があって、それは「トリスタンとイゾルデ」というイングランドとアイルランドの国同士の争いに巻き込まれて数奇な運命をたどた若い男女の悲恋物語である。
民話である。
恋愛というものにはいくつかの条件があって、
@愛し合っていること(当り前ですネ)
A障害があること
Aの障害というのは、昔は戦争とか飢餓とか貧困とか病気とか身分の差、家柄の問題とか不倫(道ならぬ恋)とかライバルであるとかさまざまであったが、今の先進諸国ではこの障害もせいぜい不倫か病気になってしまった。

ラジオドラマで有名な「君の名は」という名作は、当時の放送時間帯には公衆浴場、つまり風呂屋が空になってしまう程の大ヒット番組であったが、内容はただの不倫である。
そこに戦争であるとか貧しさであるとかの時代背景があり、人々の倫理観もあり、通信の障壁(携帯電話が無かった)もあった為に愛し合った男女がもどかしいくらいスレ違っていく長い長い物語であるが、これは韓国ドラマの「冬のソナタ」にも引き継がれている。

病気の例では、チョット前にリメイクされた浜田光夫と吉永小百合の名作「愛と死を見つめて」というのがあった。

先日イギリスで売り出し中のケン・ローチという監督の恋愛映画「やさしくキスをして」をそのロマンチックな題名に惹かれてDVDで観たが、これは国籍と人種と文化の違いが障害となっている。
パキスタン人とアイルランド人の女性の恋物語であったが、この物語ですら現代の社会倫理らしく人種や国籍の問題障害というより、家族と個人についての文化の違いであったので、結論としてはロミオとジュリエットのように、家と家の文化の違いがその根源的障害となっている。
つまり、「ロミオとジュリエット」も「トリスタンとイゾルデ」も「やさしくキスをして」も「ウェスト・サイド物語」も「ニューシネマパラダイス」もすべての恋愛映画の名作はやはり家と家との関係性が恋する若い男女の恋愛行動の障害としては最大最多であり、それがまた逆にロマンチックで美しいラブストーリーの普遍的なテーマとなっている。

「野菊の墓」「ラブストーリー」
いずれも身分の差と病気が障害であったが、大胆にこれらの若い男女に限って言えば、悲恋物語を大きくひっくくればそれは若い男女の恋であれば殆ど「親子の愛」から「男女の愛」への移行というのがテーマとなっていて、それが物語のカタチとして家と家、国と国の争いという形式を通して、表現されているに過ぎないと思える。
また、もうそれ程若くもない自立した男女の恋の物語はやはり現代の流行作家の渡辺淳一氏の説くように、その障害は家(家族)と個人(恋人)の間の欲望と感情との間の葛藤や心理的「揺らぎ」がその恋物語の中心的な「味付け」となっている。
そもそもいくら男女が強く愛し合ったとしても恋物語にならないのだ。
何故ならば、恋というのは男女がお互いを求め合う通信行動や性行動や感情の交流を指すが、その男女の間には必ずある一定の距離が絶対的に必要となることに気づく筈だ。
物語的にも、もしも一旦くっついてしまって永遠に離れないとしたならば、その男女にはもう「求め合う」という恋物語の中心的なエネルギーを喪失してしまうからだ。
であるから恋をしている男女の障害をつくる、つまり邪魔をするという周囲の行動は結果的にその恋愛に激しく強いエネルギーを注いでしまうという周囲の思惑とは逆の結果になるということだ。
このことを心理学では「ロミオとジュリエット効果」と呼ぶ。
つまり、恋する男女の間を引き裂こうとすると、さらにその恋は燃え上がるという理屈である。

家同士の争いが最もロマンチックであるが、何の障害も無い男女の場合、結構多く見られたのが遠距離恋愛というものだ。
これは結果的に居住地域が根本的に離れている場合、つまり出身地や実家がちがうケースでは残念ながら実らないことが多い。

ごく一般的には「恋の邪魔をする」というのは、極めて危険なことであるのでやめた方がよろしかろうと思う。
それがどんなカタチであれ、邪魔をした人々は一生恨まれるか、周囲から最終的に嫌われてしまうか疎まれてしまうようだ。
まさに「人の恋路を邪魔するヤツは馬に蹴られて死んでしまえ」である。

いずれにしても恋愛映画や恋愛小説に親しまれる方は、よく心理的に観察してみられたら必ずと言って良い程、何らかの「ロミオとジュリエット効果」を見い出す筈である。

ありがとうございました

追記@
恋愛にエネルギーを与える「障害」を思いつくままに列記してみると、
1)家同士の争い、もしくは身分家柄の差異
2)遠距離
3)病気やケガ
4)戦争
5)刑罰
6)不倫
7)貧困
8)多忙
9)若さ(未熟さと愚かさ)
10)タイミングのズレ
恋の物語にはこれらの障害を散りばめておくと、そのエネルギーは高まり、それが無くなるとその高揚感は静まりエネルギーは落ちてしまう。

追記A
恋を長びかせたいと思うならば、この障害を常に作り出しておくか、障害と同じような何らかの緊張感、例えば激しい性格とか嫉妬深さとかワガママさとかを維持しておくと良いらしい。
度が過ぎると逆効果であるが・・・。

追記B
ポール・ニューマンという米国人の有名俳優はジョアンナ・ウッドワードという美人女優と「オシドリ夫婦」として活躍したが、夫婦関係を長く良好に保つ方法を問われ、「できるだけ夫婦で顔を合わせないことだ」と・・・。
ナルホド。
夫婦というものはもう恋愛状態ではない最たる男女関係の典型的なものかも知れない。
何しろ「求め合う」必要がなく、それはせいぜい性欲とか食欲とかの生理的欲求の充足を求めるものであり、それはまたあまりに容易に手に入るので、「求め合う」というレベルまでいかない低いエネルギーしか生じないからである。
何度も述べているが、くっついてしまったものが一体どうして求め合うことができるのであろうか?
チョット考えたら子供でも理解できる理屈だ。

追記C
「トリスタンとリゾルデ」という映画を観たが、このヒロインのソフィア・マイルズという女優さんは久々に奇麗な人であった。
一方主人公のジェームズ・フランコという男優もまたとても若く美しい人であったが、何故か笑顔だけは美しくない人であった。
口が歪んでいて下品であった。
この人の初期の作品はロバート・デニーロとの共演の「容疑者」という作品だ。

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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