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■ 大量殺人者の家庭環境について | 2008. 6.16 |
これは必ず世界中で共通して話題になる大きな社会テーマだ。 最近起こった大量殺人者の生い立ちや背景について人づてに聞いた話を頼りにこれを書いている。 日本の社会では、特に江戸時代の刑罰の与え方として一人の犯罪者が出ると、その家族・親兄弟までその責任を負わされると言う習わしがあり、これは大きな犯罪の抑止力になっていた。 つまり、子供や親兄弟の犯罪の責任を家族全員が執らされるということである。 だから親族一同でそれらの犯罪者の発生を身内で抑制すべく、一族のメンバー同士で厳しく躾けや教育が行われ、家の対面を保つ為に皆が一生懸命であったらしい。 これは刑罰に限らず、世間からの非難の目は家族全員に向けられ、現代ではマスメディアのカメラのシャッターやインタビューの集中砲火は或る一人の凶悪犯罪者、例えば大量殺人者の家族、特に両親に対して遠慮会釈なく激しく鋭く当然のごとく浴びせられる。 そのような家族に対して同情的な視聴者も時々見受けられるが、多くの人々にとって他人の不幸や悪事は、やや悪意に満ちた攻撃の格好の餌食となる。 だから江戸時代に勘当という制度があり、少し犯罪傾向のあるならず者の血縁者は、被害が親族に及ぶのを避けるためにつくられた親子兄弟の「縁切り」の手続きである。そうなると勘当された子供がいかなる犯罪を犯そうとも、類は親や兄弟には及ばないことになっていたが、今は単なる猟奇的好奇心かマスコミの体質本能のなせるワザか、無闇にその犯罪者個人の生い立ちや家庭環境や過去のつき合いや、果ては学校の生活態度も暴き出され、勘当しましたでは済まされないような被害を親族も味わされる。 このような場合、誰も助けてくれない。 イザなったら世間というものは、恐ろしく冷たいものなのだ。 最近は「世間体」や「対面」を気にすると言うのは、どちらかというと逆に不正直で不道徳だと見なされやすいが、それはその子供の個人の内面や考え方、つまりもっと言えば感情の問題であって、実は社会の平和と安全を守る「相互監視システム」であると考えることもできる。 つまり個人が「世間体」を気にすることで、人の道即ち倫理や道徳にもとる行動や言動を自然に慎む方向にチカラのある考え方である。 そのシステムの延長線上に犯罪の抑止力があったのだ。 「世間体ばかり気にするな」というのは少し恥ずかしい生活上の感覚であるが、主に子供の心の成長、つまり健全で自立心を大きく促進するという考え方に立っていると思える。 一方で、件の大量殺人者の生い立ちを検分すると、家族環境であるが予想通りいくつかの犯罪心理学者のリストアップしている特長を持っている。 @学業成績はまあまあ良い。 これは子供がいわゆる「いい子」で自己主張を抑え込まれたということ A世間体を気にする親の存在。 これは子供の内面や心の無視があり、配慮が無かったということ。 B親の強い精神的抑圧か放置か無視がある。 これは、愛という名の暴力ともとれる。 親の意図的、操作的、作為的行動パターンを示している。つまり「価値観の押し付け」がある証拠となっている。 C母親が口やかましく、そのくせ母子密着と父親の権威が失われるケースがある。 父親の権威の失墜というのは、父親というものが象徴している「社会」とか「会社」というものへの軽視・軽蔑の存在を示しており、反社会的行動へカンタンに手を染めさせる原因ともなっている。 つまり、自虐的自己破壊的行動者と見なすことができる。 このようなことを解らせる役目を担っているのは日本時の場合、女性であった。 女性の質の凋落と同期同調するように母子密着と父親の権威の不在を示す有害な事態となっているような昨今の社会や家庭の断片図を示してくれる先日の大量殺人事件であった。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |