コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 人間のつくった国家という名の制度について2008. 6. 2

筆者は政治経済の専門家ではないが、どうもこの頃は国家というものへの不信感が高じてきて書かずにはいられないのでこれを書いている。
何を今さらと思われるかも知れないが、「郵政民営化」についてももう一度深考してみたい。
郵便局と言う名称の、いわば国営の金融機関はその保有金額で言うと世界最大であったらしい(!?)。
確か1,500兆くらいではなかったかと思うが、この金額は日本のGOPの約3倍であり、国の財政赤字800兆よりも巨額である。
どうしてこんなにお金が集まったかと言うと、それは「政府保証」があったことと、国民の貯蓄に対する意識が高かったからである。
その上どんな田舎やヘキ地に行っても必ず郵便局はあり、素朴で純粋な国民の多くは政府(国家)を信じて一般庶民がせっせと僅かな10円、100円、1,000円のお金から大きな金額でも数100万円くらいまで「預金」をしたものがるいるいと集まったものである。
資産家、投資家が巨額の資金を預け入れる「銀行」とは決してワケがちがうのである。

集まった金額は世界最大の巨額であるが集められる「集金の構図」としては、まことに素朴で慎ましやかな1円、2円とコンビニで集められる消費税から募金箱のようなものである。

民間活用とか有効利用とか民営化とか、チットモ美しくないけれども、今では「美名」「大義名分」の為に半ば強行的に「郵政民営化」が行われた。・

郵政事業の中の「郵便事業」の赤字を解消するというのが狙いであるが、実態はいかなるものなのか?
誰も明快には答えてくれない。
「年金問題」というのにも似ている。
この制度は一般大衆、国民の多くはこれまで国家というものを信じてきたと言う証でもあるけれども、最近ではこの政府とか国家というものへの信頼が大きく崩れようとしている。

姦しいマスコミのように税金とか年金とか郵便預金とかの使い道に対してケチをつけているワケではない。
制度とかシステム、仕組みついて不信感があるということを言いたいのだ。

集まったお金を政府や国家がある程度自由な裁量でもって、国家や国民や時には自分たちの為に使うというのはまだゆるせると思うのだけれども制度そのものを例えば「年金」、例えば「郵便局」、例えば「国民保険」などを、民営化と呼んで民間に売り渡すというのはいかがなものかと思うのである。
これは教育とか職業安定所(ハローワーク)などにも言えることで公教育のレベル低下は学習塾の隆盛へ、職安の機能低下は民間の派遣会社の繁盛へ、国民保険の機能不全は民間保険の巨大化へと結びついていく。
その上今は「グローバリゼーション」という国際基(平)準化への流れもあって、いわゆる外資のこれらの分野への進出も懸念される。
何も外資の進出が悪いと言ってるワケではない。
これまで国家が国民へ保証してきた「聖域」つまり「保険」とか「年金」とか「郵便局」とか「公教育」とかはどうにも国家が管理し保証するべきではないかと考えてしまうのだ。

営々として築いて来た国家と国民の間の甘い蜜月はどうも終焉をむかえているようだ。

追記@
「聖域なき行政改革」という謳い文句があったが、何事にも聖域と言うものは必要ではないだろうか。
筆者の考える聖域というのは国民が国家に対して果たしている三大義務である「納税」「勤労」「教育」と同じように、国家も国民に対して大切な義務もある筈である。
それは「安全」と「保障」と「教育」であると思う。
これは親が子に与える信用と似ている。
この安全と保障を怠っているような気がする最近の「民営化論議」とグローバリゼーションへの政治と経済への流れである。

追記A
まるで社会主義のような筆者の論調であるが、「自由主義」「資本主義」「民主主義」は正義で善で社会主義、国家主義、共産主義は不正義で悪というステレオタイプな「擦り込み」が国民大衆全体にそれこそグローバルにメディアを通じて行われているような気がする。
政治の体制と言うものは国民というか市民というか「人間を幸せにする制度」であるなら何でも良いのではないかと個人的には考えている。

追記B
先日「インベーション」というアメリカ映画を観たが、これは大変不気味なメッセージが込められているようで怖かった。
内容はおだやかで平和なほうが非人間的で、争ったり戦争をしたり感情を剥き出しにするが方人間的であるというものだが、これも或る意味とてもアブナイ考え方ではないかと思う。
「人間が感情を持つ」というのと、「人間が争う、戦う」というのを混同させるような内容の映画であった。
深読みすれば戦争賛歌のような映画であった。
感情と言う激しいエネルギー、欲望という強いエゴの発露を人間がコントロールできなかったならば、それはもう人間ではないと思えるのだが・・・。
自制心とか忍耐心とかいうものを上手に培ってきた人々を本当の人間らしい人間、即ち人格者と呼ぶのではないだろうか.

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
濱田朋久


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