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■ ヒコーキ理論 | 2008. 6. 2 |
いわゆる旅行目的で飛行機に乗るのは、あまり好きではない。 だいたい時間にうるさいし、普通空港というのは一部の都市をのぞいて郊外にあるので、アクセスが悪く、今はハイジャック防止の為の手荷物検査が厳しくなって、近頃は海外旅行だとペットボトルの水や化粧品の水まで制限され、アメリカなどでは靴まで脱がされる。 時々、愛想の良い検査員なんかが「ナイスシューズ!」なんて言ってくれるが、何がナイスシューズだ。 昔のレディーが相手だったらハッタオされる無作法な所業である。 前置きが長くなりました。 少し矛盾するが、「飛行機に乗る」とか「飛行機」そのものは、その「手つづき」にくらべると、とても好きである。 書店に行くと必ず飛行機に関する本はアタマを癒す為に買っている。 最近のパニックムービーでも飛行機を題材にしたモノは昔から人気があるようだ。 ハブ空港という概念があって、空港同士を丁度自転車のハブ(車軸の針金)のように中心となるような大きな空港のことを指す。 日本の羽田、成田、関空とかは規模とか利用料金の問題もあって、いずれもアジアのハブ空港としての地位は残念ながら得られずにいるようだ。 このハブ空港では、当然ながらかなりの過密ダイヤで、各旅客機の交通整理には、かなり神経を使うらしい。 混雑時や悪天候の時など、空港の上空で旋回しながらかなりの時間待機させられたり、地上でも出発が遅らせられたりする。 このような本を読んでいて「オヤッ」という風に気づいたのが飛行機同士がよく衝突しないものだなぁと思っていたが、これは本の知識と個人的な想像力によって気づいたことだけれども、自動車事故による高い確率の衝突などは、飛行機同士の接触や衝突など滅多にないのではないかと言うことだ。 これは良く考えてみれば当然のことであって、人間の普通の想像力をもってしても2次元的か3次元的かの問題であるが、2次元つまり平面上を走っている車同士であれば、時間と線の組み合わせが「整えば」実は簡単に車同士は衝突してしまう。 それが平面上の空間を入れた3次元空間になると、時間と点と線の絶妙な一致がないと」、それこそ滅多に衝突などしようがないではないだろうかと想像される。 考えてみれば旅客機というのはかなり大きなシロモノであるけれど、空というのはとても広々としていて、例えば鉄砲の弾丸同士がぶつかり合う確率などどんなに激しい戦闘状態でも極めて稀であることを参考にすれば、この理屈が容易に想像されるであろう。 昔西南戦争(明治維新の初期の九州中南部で起こった内戦)の最激戦地、熊本県北部の「田原坂の戦い」では鉄砲の弾丸(タマ)同士がぶつかり合うほど激しい戦闘があったらしく、ぶつかりあって「ひとつになった」タマが記念として保存されているが、このことは考えてみるとそれが「記念」になるくらい稀少性のある出来事であるという証にもなるということがわかる。 文章がとても冗長になったが、飛行機の運行をヒントにして私のお伝えしたことの要点は、人間同士のぶつかり合いも殆どが2次元的なものであるので、それを3次元的に意識の「空間」を拡大させれば、人間関係における望ましくない衝突を回避できるのではないかということである。 ぶつかり合っている者同士は恐らくほぼ100%その意識レベル同じ平面上にあって、同じ精神レベルの人間同士であるということにまず気づく筈だ。 もっと具体例では、、幼稚園児の喧嘩に中学生は加わらないであろうし、チンピラ同士の戦いに大物政治家は関わらないであろうし、老夫婦の争いに孫は多く無関心であろう。 衝突というものがなくても嫉妬とかいがみ合いとかは大概同じレベル、同質の人々の間で行われるものなのだ。 こうして考えてくると、大工さんは大工さん同士、床屋さんは床屋さん同士、お医者さんはお医者さん同士で競争し、嫉妬し、いがみ合うものだということに気づかされる。 昔、15年くらい前にエゴグラムという心理学上の評価プログラムをつくったジャック・デュセイという世界的に有名なアメリカ人の精神科医の心理学セミナーを受講したことがあるが、その時に誠に示唆に富んだいくつかの助言をいただいたが、そのひとつに「夫婦喧嘩」というものはだいたい6才くらいの少年少女のレベルにそのカップルの精神状態がなっているから、このことを応用して「カップルセラピー」をする場合、感情的になっている相手(夫か妻)の精神的レベルを6才の子供に見立てて、おだやかで知性と慈愛と寛容さに満ち溢れた「親」となってその配偶者と対じすれば良いと」言われていたが、これは大変参考になった。 争い、いさかい、いがみ合い、憎しみ合い、嫉妬、競争など人間関係におけるネガティブな感情や欲望や考え方の果ての衝突はマチガイナク同じレベルの者同士で起こるので、これをスムーズに回避する簡単な方法というのは、自分の意識レベルを最低でも3次元的に移動させる。 つまり「レベル」を移動することではないかと考えてこれを記している。 この精神レベルも3次元と言わず、4次元、5次元、6次元と人間の想像を超えた次元へと意識を拡大できれば、実に軽々として気楽な良い気分になるのではないかと思える。 精神世界に興味のある方にとっては、このような理屈は容易に理解できるであろう。 このような次元の移動、上昇を「アセンション」と言うらしいが、そのようなモノモノしい考え方でなくても、そこまで上昇しなくても最低でも平面から空中への精神の上昇くらいであれば誰でも出来るのではないだろうか。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック 濱田朋久 |