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■ 愛について(7) | 2004.11. 7 |
台風に地震と災害つづき。何かお役に立ちたいと思いつつ、具体的には何もしていない自分が情けない。せめてもと僅かな義捐金を送りましたが・・・。 心よりお見舞い申しあげます。 さて愛について。 今回はパクリはやめて自分自身の言葉で少し綴ってみたいと思います。 この宇宙、全ての存在は、恐らく人間が「愛」と呼んでいる何か大きく深く高尚なエネルギーに満ちていて、それを人間の感情、感覚として「愛」という抽象概念を生んだように考えています。 神の世界、愛の世界、死の世界、無の世界。 これらはどうも同じモノのように考えています。 多くの人々は、目に見える世界、生の世界、物質の世界ばかりに目を向けがちであるし、また生きていく上で当然のことではありましょうが、 「私達は、どこから来、どこへ行くのか」を自らに問うたとき、どうしてもある種オカルティックとも言える「精神世界」へと思いを馳せざるを得ない。 愛の喜びは、死の世界、無の世界に似ている。 (自殺を奨励しているわけではありません。生をもっと生き生きと楽しむための考え方ですが。) それは自分が無くなる感覚。自分が相手や対象に同化して自我の感覚が溶け去る感覚は、セックスの深い快楽を得たことのある人は、何となく理解できると思います。勿論セックスという欲望のことだけでなく、母親が子供を生むときの、自己犠牲的な感情、考え方は、人間であれば誰でも共通したものではないでしょうか。出産というのはまさに「命がけ」らしいですね。 また人間の所有できる時間は今しかない。 けれども過去と未来にはもっとはるかに長い時間(個として見ると)死と無の世界が広がっている。また実際に宇宙は、空間としてもはるかに広大な無の空間があり、目に見えない53%の暗黒エネルギーと43%の暗黒物質に満たされ目に見る宇宙は僅かに4%に過ぎないそうです。 宇宙の誕生と同じように生命の誕生も考えてみれば、不思議な現象ですね。 いずれも無から生じている。そして神と人間の違いはあれ、そこには「愛」もしくは「愛のような」エネルギーが介在している。 最新の宇宙理論では、宇宙の誕生はビッグバンの前に超極小から無に近い物質から生まれているそうな。 そもそもなぜ宇宙は誕生する必要があったのか。 まさしく神のみぞ知るですね。考えたら「うつう」になりそう。すいません駄洒落でした。 最後に無難禅師の言葉をひとつ。 「生きながら、死人となりて、成り果てて、思うままにするわざぞ良き」 少しでも皆様の「生きやすさ」の足しになればと、「思うままに」書き綴ってみました。オソマツ。 濱田 朋久 拝 寒くなっています。どうぞくれぐれもご自愛ください。 |