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■ リッチマン | 2008. 5.27 |
世界一のお金持ちというと、ここ数年はマイクロソフトという会社のCEO ビル・ゲイツであったが、この人よりも年長者のウォーレン・バフェットというアメリカ人に追い越された。 とは言えお二人とも総資産額はそれぞれ日本円で5兆円超だからあまり大差はない。 想像を超える金額で、日々生活に追われている一般庶民や資産繰りに奔走している中小企業経営者には全く見当もつかない羨ましい金額だ。 手近なもので早退比較できる物体がないのでこのような人の心の中など推量ることもできない。 ただし個人的には当然ながら自分の肉体や精神や魂とは交換したいと思うほどの金額ではない。 このバフェット氏は資産の99%は寄付をするとおっしゃっておられたが、残った1%でも500億円である。 この金額でも相当なものだ。 使い道が思いつかないから持っていても仕方のない金額なので、最終的には寄付するのと同様の使い方しかできないのではないだろうか? 恐らく世の中に物質的なものは殆ど手に入れておられると思うので、想像であるがこの世の中にお金で買える欲しいものは無いのではないかと思える。 バフェット氏の周辺の人々の話や対談などを雑誌で読むと、投資家としては何も特別な才能とか奇才とか発揮したというワケではなく、ただ当たり前のことを当たり前に、世の中の動き特に株式市場の乱高下や景気の激しい動きにまどわされることなく自分のアタマでよく考えて決断し、忍耐強く持ちつづけたという印象がある。 つまり特別に変わった人ではなく、当り前の普通のアメリカ人、人間であるように思える。 この人の話を読むと、逆にメディアを通してみる世の中の方が変わっている、変奇、騙されているという感じを持つ。 殆どの最近のビジネスの成功者と同じく、バフェット氏もビジネスの王道として「誠実」を第一の条件とされており、目線はお金というより仕事そのものに向けられ、もっと言えば人に向けられている。 例えば、ある企業を買収しようとする場合には、色々な株式市況のポートフォリオとか財務内容などよりも、将来安定的に普遍的に成長し続ける人間の生活活動にピッタリと密着した商売、つまりビールとか清涼飲料とか、ヒゲソリとか家具とかいうビジネスに対して投資を行うようだ。 それにビジネス上して良いことよりも失敗例を研究しており、やってはいけないことをしないように努めているようにも見える。 つまり複雑さよりもシンプルさを求めているようにも見える。 そして意外にもそのブレイン、即ち相談者には今流行の若い頭脳達ではなく、知識と経験を兼ね備えた年配の人が多いらしい。 多く70才代で、中には100才代の女性もいるというのは驚きである。 昔から金儲けは60才代からと日本の商人道にもあるが、彼人によれば65才からだそうだ。 「お金を求めて仕事をするのではなく、仕事そのものを楽しんでいる」 という成功したビジネスマンの多くの黄金律はバフェット氏にもキチンと当てはまるようだ。 そして成功を求める人の多くは、残念ながら貧民街に辿り着いていることの方がはるかに多いと・・・。 この理由については後述したいと思うが、さわりだけ述べるならば、 第一には、成功の方法に目を向けすぎると、より失敗の可能性をどうしても軽視してしまうのが人間の性であるということと、 第二には、以前にも書いたが渇望した「モノ」は人間の潜在意識のメカニズムからすると手に入りにくく、全く逆の結果になりやすい・・・という理論・理屈からではないかと考えられる。 まとめてみると、リッチマンになる条件というのは、あまり大昔から世界中変わらない。 @仕事が好きであること A知恵知識が豊かであること B世の中の動きをよく敏感に察知するか、まどわされず自分の道、即ち王道を歩くということ 追記@ 世界の長者番付を見ると、かつては世界一の資産家と言われた西部グループの総帥 堤義明氏、森ビル社長など日本人の名は消えてしまって、今は100位以内に数人入るのみになってしまい、殆どアメリカ人であるがその中でも目をひくのはインド人の鉄鋼主 シタル氏だ。 企業の買収、いわゆるM&Aで巨大企業を立ち上げた。 追記A 世界全体で見ると、必ずしも貧困と犯罪が結びつくことは無いが、富の偏在はやはり犯罪の温床となるようだ。 日本の犯罪発生率は先進国の中ではかなり低く保たれているが、今のところ富の再分配は公平のようだ。 富の公平さを示す「ジニ係数」もデンマークに次いで低く公平さが比較的保たれている。 これは経済雑誌の情報とは少し異なる。 追記B 貧困は大問題だが、今はワーキングプアと言ってどんなに努力しても貧困層から抜け出せない人々が増加しているが、これは社会のシステムに問題があることが最近指摘されていて、それは概ね60%だそうだけれども世界最貧国と言われているアフリカ中部の国々に生まれたリッチマンになる確率など天文学的に低い数字にちがいないであろうから、そう考えるといまの日本に生まれて普通の知性と健康の持ち主であれば、あらゆる努力を惜しまずリッチマンを目指すことを決断して、努力と犠牲を惜しまなければ少なくとも天文学的な低い確率ではないのではないかと思える。 若者には情熱と気力と体力、老成者には知識と経験と人脈 今のところどっこいどっこいと戦いであるなら未来の長い若者に少し分があるように見える。 誰もがウォーレン・バフェットにはなれないかも知れないが、自分で決めた勝手なリッチマンのレベルであれば実のところ誰にでもなれるのではないかと思える。 少なくとも絶対に不可能と言うことはないであろう。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |