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■ ゴールデンウィーク | 2008. 5.14 |
何がゴールデン(黄金の)なのかわからないけれど、4月下旬から5月初旬の1週間から10日あまりの連休をこのように呼称する。 日本人も余程休日というのが好きなのであろう。 休日が多いとアタマをうまく使えないのでバカになるのではないかと思う時がある。 幸いにも今年は片付け物や書類や本の整理で結構アタマを使ったような気もするが、多分思い過ごしであろう。 休みの日はあまりアタマがうまく回らないよ気がする。 「グリーンホリデイズ」とか「さつき休暇」とか「緑風週間」とか「みどりの日々」とか、もっとただの連休よりも国民全体の心地良い夏の前のひとときの、一年でも有数の良季を楽しみましょうネ・・・みたいな少し長日の安息日みたいなイメージの生じる呼称をしてみたらと思うのだけれど・・・。 余計なお世話ですネ。 草原を渡る風、明るい陽光と涼やかな風に踊る緑葉、公園の木陰の草むらに寝そべってサングラス越しに眺める青空と白雲と木々の緑の光の乱舞に陶然として微酒に微酔した、脳髄をしびれさせる、まさに薫風の五月に今年も思う存分浸ることが出来てとても幸せである。 ありがたいことである。 海外旅行に観光地めぐりも良いけれど、こちら九州の山奥の小さな温泉街で城下町の周辺は殆ど畑か水田か山林ばかりである。 日本の三急流のひとつに数えられる町を東西に横切る球磨川も少し上流にのぼれば、長い堤防と広々とした緑草地の河川敷があり、野草や小さな草花の中に身を沈めて青空を見上げれば、浮世の憂さ等吹き飛んでしまう。 子供がまだごく幼かった頃には、家族でピクニックに来て川で遊んだり、弁当を広げたり、ボール遊びをしたりという思い出があるが、その時には大して感激はしなかったけれど、今ではそれは全て脳裏に刻まれた貴重な“ゴールデンウィーク”の黄金の記憶となっている。 人生と言うのはそういうものかも知れない。 特に邦画などを見ると、日常のほんのささやかな家族や友人や恋人同士や仕事仲間とのやりとりや、風景や心象が映像に切り取られて、「映画」として見せられると日常生活に埋もれたひとつひとつの小さな出来事が実はとても貴重でかけがえのないものであったことに気づかせてくれる。 今年、2008年の5月4日には35年来の友人知人と集って旧交を懐かしんだ。 まだ浪人中に出会った他校を卒業したほぼ同輩の連中であったけれども、全く利害もなく親交もとても淡くはかないものであったが、気のおけないとても善良な人々で、当時は孤独で浪々の身で精神的にとても辛い時期であったので、或る意味で大学時代の付き合いよりも心情的に深いものであったような気がした。 そして筆者自身の、今にして思えば人生にとても大きな影響を残して過ぎて行った「青春時代」というものの中心的な配役陣たちであった。 それは実のところ正直に告白すれば、今でも心の中では「ひきずっている」。 決して過去には戻ろうとは思わないけれど・・・。 人生という物語の中では、登場人物を決して消すことはできない。 それがとても忌まわしいものであれ、歓喜に満ちたものであれ・・・。 この問題は心理治療における大事な前提用件でもある。 今日は5月6日。 今年のゴールデンウィークも暦上も最終日となっている。 明日から仕事が楽しみだ。 朝から身だしなみを整えて、仲間達と患者さんを診る。 こんなに楽しいことが昼間にあるであろうか。 少なくともハワイのビーチでくつろいでいるより、ゴルフ場でクラブをスイングしているより、雀荘で牌つまんでいるより、夜の店でカラオケを歌っているより、パチンコ屋でスロットを回しているより面白い。 映画館で面白い映画を観るよりキツイけれども、家族と楽しく過ごすよりも、実は安定した楽しみである。 何故かというと、自分のことではないからである。 そしてアタマを生産的に、経済的に使うだけではなく、何かしら人に喜んでもらえるという実感も味わえるから・・・。 ありがたいことだ。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |