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■ 日本のテレビ番組 | 2008. 5.12 |
かなり昔から土曜日の午後というのが最も疲れる時間帯なので、午後2時か3時くらいから夕方まで必ず長い午睡をとるようにしている。 土曜日の昼食は、大概決まった定食屋さんで摂るのであるが、テレビがいつもついていて何となく眺めるのであるが、この30分間くらいが一週間で唯一テレビというものを見る時間である。 そのときいつも思うのであるが、テレビの番組というのは国民を愚弄しているのではないかと真剣に疑ってしまう時がある。 内容の程度の問題であるが、昔幼児向けの教育放送で「ピンポンパン」というのがあったが、あれよりももっと幼稚で品の無い内容でテレビの中の観客も一緒に笑っているが何がおかしいのか良くわからない。 少しも美というものを感じない態度と風態といでたちと無意味なギャグと言葉の連射でアタマがおかしくなる。 で、その食堂で食事をしながらその番組を眺めて笑っている人も反応している人もいないで呆けたような表情でテレビを見ている。 一種異様な風景で、例えばヨーロッパの少しばかりの教養とか知性のあるお客さんか友人がいたりしたら、こういう番組を日本の文化ですという風にみせることができるのであろうかと思うと、余計なお世話かも知れないけれど、テレビ局に抗議の電話でもしようと思ったくらいであった。 年を取って感性が少し現代の世相に合わなくなったのかも知れないけれど、少しも美しくなく優雅でも上品でもないという風に自分自身の感性にマッチしなかったので、合わない方を選んでいる。 つまり真似もしないし、迎合もしないということだ。 今は少女達も、中には男の子も眉毛を抜いている人がいるけれども、昔は美貌の人のことを表現するのに眉目秀麗とか言って、眉はとても重要であった。 男の場合、眉毛が長いのは吉相で、先見力、洞察力に優れているそうである。 眉毛が白くなるのは白眉と言って、これまた「秀逸である」という意味であるけれども、実際に眉毛が白くなるのは少し脳の働きが落ちてきた兆しとも取るけれど、中には眉毛が長く白くなって益々意気軒昂として溌剌とした年配者もいて、このような人を白眉と言うのかもしれない。 眉が自然に薄くなるのは、アタマが良くなって来た証しとも見なすらしいが、眉毛が生えていないのは労働を嫌がると言う表現で、何をするかというと、労働をすると額に汗をかくが眉毛と言うのはその汗が目に入るのを防いでくれる大事な顔面の装備である。 それがないと鉢巻かバンダナでもアタマに巻かないと仕事がスムーズに出来ないであろう。 少なくとも肉体労働には不便だ。 そのような眉毛なしの文化というのは近頃の労働を美徳としない風潮の結果であろうと想像される。 現代の日本の文化については、現段階ではテレビの影響であろうと確信している。 先日は、街を行く若い人のファッションなどを見ていていささかな奇異な感じを抱いたけれども、テレビを見た時にその心の中の疑問の塊は一気に氷解した。 みんな少しも美しくないタレント達の変奇なファッションの影響でそのような服装になった筈である。 けれどもロンドンの風景を数年前に見た時に。待ち行く人のファッションはやはり想像以上に美しくカッコウもとても良かったので、いつもロンドンに行くと、自分の美的感覚とマッチするなぁと思うし、とても元気になる。 昨日もイギリスの最近のスパイ映画を観た時に、主人公の少年が今時の日本人の少年よりもはるかにスッキリとした地味でカッコ良いファッションであったので、安心したと同時にやはり今の日本人の美的センスは少しどうかしているのではないかと思える。 老若男女キタナクても平気。 高価なブランド品で下品に着飾って平気という美意識は本来の日本人のものではないのであろうかと思えるので、最近はさらにテレビを見ているとますます落ち込むし、ますます腹が立ってくるので、ますます見ないようになっている。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |