コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 謙虚さを維持することのすすめ2008. 4.25

一生懸命努力をして、素晴らしい富や高潔な人格や成功を勝ち得たとしても、いっぺんで奈落の底へ落ちてしまう心の病気があるらしく、それは慢心とか傲慢とか高慢とか自慢とか「慢」という字につらなる心の状態である。

中国の古典などを読むと、謙虚と言う言葉は必ずと言ってよいくらい出てくる言葉で、特にその最高のものとされる「易学」ではこのことが繰り返し繰り返しくどい程説かれてある。

数年前にキレイに倒産してしまった10年程前までは県内一の規模と売り上げを誇った九州圏内でも有数の小売業チェーン店の社長もこの病気にかかった説があるらしく、これまた県内最大手の造り焼酎屋の社長である筆者の従兄から聞いた。
また違う人からは、県内最大手の某製薬会社の社長も最近この病気にかかかっているらしく、その言動にその兆しが既に出ているらしい。

察するところ、この「慢」という心の病気は誰にでも出るらしい。
この病気にかからない為には、やはりいつも「謙虚」という言葉とその深い意味をしっかりと胸に刻み、毎日毎日思い出して確認しておく必要があるのかも知れない。

筆者の場合、それはチョットしたミスや油断から生じた小さなトラブルからそれを感じとり、「いかんいかん」と自重を促すと同時に「調子に乗るな」と自分を戒めるようにしているが、何と言っても毎日の墓参りと神棚の前での合掌と御礼の言葉が有効な気がする。
何かしら霊的な目に見えないもの、神的なものに手を合わせ頭(こうべ)を垂れることで何かしらの敬虔な気持ちと、今自分が生かされていることへのなんとも表現できない感謝の念が胸の内に湧いて来て、何かしら霊的なものと同調した時には、心地良い風を春夏秋冬に関わらず、体全体に感じることができるからさらにアリガタイナとかシアワセダナアと感じることもできる。

何もかもすべて「貴方様のお陰です」みたいな心持ちは決して傲慢さ高慢さ慢心から遠いものである。
実際にそれなりに努力はしてきたけれども、ただのロクデナシの非行少年をいっぱしの男に育ててもらった恩義についてはどうやってお返ししたら良いか、途方にくれる程であるが、やはりこういう心理状態は毎日の墓参りをさぼるとすぐに忘れる。

それは毎日の読書とか筋トレとか勉強とかの自分を鍛える為の日課をさぼった時に、すぐに衰えてしまう頭脳と筋肉と体の調子のように・・・。

これは年令が上がる程、地位が上がる程そういう慢心は出てくるので、そのようなビジネス書や自己啓発の本でも「自分が高くなる程愚かになる」という法則もあって、多少威張り癖のある地位や身分の高い人物よりも、自信過剰というか増上慢というか自己効力感の高まり過ぎた人物、つまり自分は何でもできるスーパーマン・スーパースターだと自分で自分を思っている人物を見ていると「危ないなあ」と心配すると同時に自分のことに置き換えて自戒自重もするようにしている。

我ながら「調子に乗りすぎている」という悪い癖があって、有難いことにアタマをピシャッと叩かれるようにチョットしたトラブルが起こり、目を覚まさせられる。

私達人間というものは、日々努力をし、成長しなければカンタンに堕落してしまうものであるらしい。
生きているというのは、毎日心臓が一時も休まず拍動してくれているから実現している状態であるし、人間全体としてみれば呼吸しているように自らの肉体や精神をまるで自転車のように始終漕ぎつづけなければ倒れてしまうとても休養とか怠惰とかゆるされない存在ではないかと思える。

自転車操業というと、経営上は資金繰りなどの悪い状態を指すが、企業の経営にしろ人生にしろ、もともと自転車漕ぎと同じで漕ぎ続けなければ倒れてしまう(死んでしまうか没落してしまう)のが人間の活動の本質と思って怠惰怠慢もやめて、仕事や勉強や種々の世の中の為の活動に精進していれば、恐らくは慢心とか高慢とか傲慢かの病気にはなるまい。
この病気は多分自分が自転車を漕がなくても、つまり何の努力もしなくてもひとりで滑らかに自転車は突っ走ってくれるという幻想を抱いている状態であると思う。
そういうワケでその乗っている自転車が倒れてしまうまでそのことに気づかない。

奈落の底まで転がり落ちて初めて、初心に返って始めて遅くは無いのであるが多くの場合、確率的には再起して成功を再び勝ち取るというのは稀であるらしい。
成功の映画のようにはいかない。
夢を打ち砕くようであるがやはりいつも謙虚に慎重に振る舞い行動し、時には勇気を持ってチャレンジすることも大事なことであるが、自らの傲慢さ慢心からくる誇大な自己評価に基づいたものならやめた方が良かろうと思う。

「これは自分の能力に見合うものではないのではないか」という自問はとても良きものと思う。
それは自然に謙虚さを心に生じさせる質問である上に、責任の重さに気づかせてくれる。

追記
それでも威張っている社長の業績は割合良いらしい。
理由は良く解らないが、威張るというのは外見であり行動であり振る舞いであるから、中身や心ではないので、慢心でも傲慢でもないからではないかと思う。
それはまた強い自信の現れであるかに見えるが、強いコンプレックスの存在の兆候でもあるので、或る意味慢心の真逆の心持ちなのではないかと思える。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
M田朋久


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