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■ 混沌か秩序か | 2008. 4.18 |
「整理術」とかいうジャンルの本は必ず本屋にある。 要するに、捨て方・保管の仕方を教示したものが多い。 少し時間があったので、思い切って部屋を整理し書類や本を整理してみたところ、何かしらのエネルギーが落ちてしまった。何故なのだろうかと考えながら筆を執っている。 ロシアの心理学者ブルース・ゼイガニックという人の説で「途中でやめたことは記憶に残りやすい」というのがある。 ある有名な進学校ではこの法則を利用して、授業や勉強のクギリを「最後まで」ではなくて「途中」に敢えて設定するこで効果を上げているらしい。 これは私自身の勉強法でも取り入れてみたところ、かなり効果があった。 記憶力が増した気がする。 テストの結果にも明瞭に出た。 「途中で投げ出す」というのは、一般的にはあまり勧められない傾向があるが、どうでも良いことは途中で投げ出すことを人に進言、提案したりすることも多い。 モチロン逆に、まがりなりにも不完全でも「やり遂げる」ことを促すこともある。 何事もケースバイケースだ。 本当はどちらでも良い気がしている。 人間の人生を全体的に眺めてみると、その最後つまり死についてみると早すぎる死か遅すぎる死かのどちらかで、丁度良い死は誰かしらの意図によって生じた作為的死、つまり殺人か自殺しかない。 何かしらの意図があって生じた人間の死であるから、自殺も他殺も自分自身も含め、或る特定の人物にとっては「丁度良く」「都合良い」ということになる。 話がまたまたそれてしまったが、整理整頓をしてしまうと満足してしまって、活力が失われるような気がする。 たとえば、買ってきた本も机や畳の上に乱雑に散らばるか、無雑作に積まれていると、かき集めてきて読んだり目をと通したりするが、本棚にキレイにならべられていると、なぜか急に読む気がしなくなる。 或る事情があって、病院や医院の開業医の先生方のオフィスや診察室を訪問したところ、どういうわけか乱雑でとっちらかっているドクターの病院の方が患者さんは多かった。 不思議である。 ビジネス書の「整理術」などを読むと真逆なことが書いてあるので、結構違和感があったものだ。 何かしらの人間的な精神のエネルギーは、無秩序とか混沌とかカオスみたいな場所や空間の方が高まりやすいのではないかと仮説している。 その空間は整理とか集中とか捨てようとかの意図やエネルギーを持つので、丁度医者の診断や治療には好もしい環境かもしれないと思える。 つまり混乱した状態、混沌とした状態にまず同調して、それを患者さんと一緒になって整理し、問題の本質にフォーカス(焦点を合わせる)させる作業が診療行為の本質とも思えるからだ。 これが医療をあまりビジネスライクにできない大きな理由のひとつなのかもしれない。 つまり人間という存在は、調和に満ちた極めて精緻に秩序だったシステムの中に生き、そのようなシステムを身の内に持っているが、だからこそ混沌や無秩序へのエネルギーもまた大きく持っており似たような性向として、健康長寿への欲求と同時に自己破壊への強い欲求を持っている矛盾した存在だと思える。 筆者自身はどうもカオスや混沌からの方がエネルギーが生まれやすいような気がする。 人それぞれだろうけれど・・・。 日本医師会のかつての大物会長武見太郎のオフィスの書類や本の山や、著名な作家達の書斎のまさにカオスそのものの乱雑ぶりを見ると安心すると同時に強い親しみと安心感を憶える。 モチロン逆のケースもある。 極めて整然としたオフィスを持っている人もやはり多いので、この理屈も絶対ではないけれど・・・。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |