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■ 持っているものを楽しむ | 2008. 4.11 |
世の中に欲張りの人は多い。 これくらいで良いと満足できないのだ。 もっともっとと欲しがる。 これを貪欲と言う。 人間の欲望には限度がない。 青天井であるようだ。 ありていに言えば、キリがないということだ。 小欲と小食は自分の身を守る。 分不相応のお金とか収入とかは、その持てる人間を堕落させ時に澪落させ狂わせる。 人間は欲求するのは得意だが、もともと、持っているモノを楽しむというのは苦手だそうだ。 たとえば、ここに30才の健康な女性がいて、仕事も家庭もあり、子供もあり、とりあえず今の日本で平均的な生活をしているとする。 このようなケースでも、何かしらの欲求をかかえていて絶えず不平や不満や愚痴をついつい口端に出てしまうと言うのは、よくあることだ。 その原因のひとつに「持っているものを楽しめない」というのがあるような気がする。 先述の例なら、生来的に持っている最も価値の高くかけがえのない30才という若さと健康にあふれた自らの肉体を楽しめば良い。 また家庭の団欒を楽しむというのもあるかもしれない。 子供を愛し、夫につくすという女性らしい楽しみもあるかもしれない。 ささやかでもゴージャスでもオシャレもできる。 車を持っていればドライブもできる。 テレビやステレオがあれば、ドラマや映画や音楽が楽しめる。 お酒が好きなら酔っ払ってクダをまくという楽しみもある。 仕事を持っていれば、家庭とはまた違った喜びを得ることもできるかもしれない。 楽しい事だらけだ。 ・・・にもかかわらず、これが欲しいあれが欲しい、もっとお金が欲しい、アソコに住みたい、ここに遊びに行きたい、新車が欲しい、家が欲しい、マンションが欲しい、もっとキレイになりたい等、際限がなく欲望を膨らませている人が時々いる。 欲求の不満足の為に、満足することができないのは持っているものを受け入れて楽しめないからだと思う。 50才は40才にはなれない。 70才も60才にはなれない。 平凡なサラリーマンが突然、大金持ちになることもない。 とりあえず、自分自身や自分の生活を楽しむことだ。 そうすれば少しは、何から何までありがたいなあと思えるかもしれない。 その結果、気分も良くなり運が良くなる。 これは常識であるが、成功者と言われる人は殆んど「謝念」が非常に強いそうだ。 成功者の人々は、自分の成功や富や幸福や健康が周囲の人々のお陰様であると心から考えて、常に感謝しており、またその感謝を表現しており、それらに報いようとしている。 「ウチには人材がいない」という社長は、失敗社長だそうだ。 人材は育てること。 その為には教育を楽しむこと、有能有意人材に対し、謝念を抱くことで人材は必ず人財となり会社を繁栄させる。 今はポンコツであるが、持っている車でドライブを楽しむ。 そして多少トウが経っているが夫婦関係を楽しむ。 喧嘩や口争い、口論すら楽しむ。 お互いの謀略やかけひきすらも楽しむ。 子供育ては全然ダメだが何とか楽しむ。 仕事も楽しむ。 断っておくが、自然に天から降ってくるように楽しめるワケではない。 キチンとした意図と意欲、意思を持って楽しもうという努力が大切だ。 油断していると無い物ネダリで欲望だらけで自らを苦しめる。 夢や希望も同じように自分にストレス、圧力をかける。 夢や希望、欲望おおいに結構。 しかしながら、それだけだとキツクなるので無欲括淡、満足楽天で、自分を楽にすることも大事だ。 いつも欲望満々だと疲れ果ててしまう。 欲望満々⇔無欲括淡 この行ったり来たりを日常的に行えば、楽々と成功や目的を達成する。 二辺往来法というらしい。 満足と欲求、無為自然と作為操作、楽しむことと苦しむこと(嫉妬と欲求不満)。 これらのバランスで人生も何となくまとまる。 小さくまとまるか、大きくまとまるかは個人のエネルギーと思考の哲学的広がりの程度であろう。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |