コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 社会を知る2008. 4. 7

時々、怒りを爆発させるのは悪いことではない気がする。
何だか心がスッキリする。
特に夫婦喧嘩だ。
ワイフが怒り心頭に発して筆者に向かって喚き立てる時の顔と表情はキラキラした目の輝きと、いつも沈んだような表情とはうって変わって結構美しいなぁ・・・と思う。
本人の心持ちは分からないが・・・。

前置きはともかく、すべてではないだろうけれど、いわゆる専業主婦と呼ばれる人が一番多いが、青少年を含め多くの男女、老若を問わず、社会とか世界とかの情勢とか構造とかを正確に把握している人はあまり多くないように思える。
いつも言うように、テレビや新聞というものは、いろいろな理由からそのような社会の成り立ちとか法律とかメカニズムとか骨格とかを知らせてはくれない。
やや一面的で情緒的で、時には大衆受けを狙ってややセンセーショナルになる時も多い。

マスメディアというものは、どうしても煽情的になりやすい。
これは購売数の増加や視聴率の獲得の為にはいたしかたのないことである。

学校の社会の授業で、世界史や日本史など歴史の授業があると思うのだけれども、今の内容は知らない・・・。
多くの子供達は、話をしてみると意外に何でも知っていたりするが、いかんせん人間関係、特に家庭における夫婦関係、親子関係、兄弟関係などについては、今やテレビやゲームや漫画の方が“先生”になっているようで、それを見ている母親まで何となく程度が低くなっているように見受ける。

或る程度の知性や教養のある人は、新聞はまだしもテレビと言うもののレベルや程度と言うものがあまり高くないことを知っている。
視聴者が子供からお年寄りまで、かなり幅の広い人々を対象にしている上に、どちらかというとレベル的に低い方に設定しているように思える。
今は日本語の放送なのに、画面に大きな字幕まで入り、解りやすくなったとは思うが、視聴者の頭脳は怠けさせてしまう気がする。

そもそもテレビと言うものは、民放の場合、極論するならその本質はネオンサインのようなものでただの物を売りつける為の広告放送なのだ。
そのような商業放送なのであるから、その収入の大部分を広告主の放映権料、つまり広告収入に頼っているワケであるから、仕方がないことではあるけれど、視聴者のためにその背景を意図的にあまり知らしめていないので、「テレビは嘘を言わないだろう」とか「テレビで言ってたから信じてしまう」とかいう思い込みを持っている人が多いと思うが、先述したように「商業放送」であるという認識を明確に持てば、カンタンに騙されてしまうことは少なくなるだろう。

NHKは公共放送であるということになっているが、こちらも視聴率という圧力はあるのであろう。
どちらかと言うと、視聴者迎合的であるようだ。
分かりやすく楽しいが、程度は高くないことも多い。
筆者が程度が高いというのはどういうことかと言うと、人生とか社会とかの本質を広く深く高く掘り下げ、広め、高尚にして、人々をより幸福に導くものと勝手に考えているが、もっと簡単に表現すると、人間や社会全体を進化発展させるものという意味である。

社会を知る為には情報を集めなければならないが、その情報源、今は困ったことに少し高い位置から書かれたまとまった雑誌が意外に少ない。
法律相談とか、消費者苦情相談とか人生相談とかの中身や解答を見聞きしても、少し程の良い「身の上相談」の域を出ないものが多い。

真の意味で社会を知る為には、いったん社会を出なければならないと思う。

日本を見るには外国に行かねばならず、地球を見るためには宇宙に出なければならない。

自分を見るためには、自分の外に出なければならない。
自分の思い込みや、頑固な考えや、習慣、常識を破壊するような、感性的衝撃でもって、自分の殻を打ち破り自分を捨てた時にはじめて自分を知ることができる。
実のところこれが一番難しい。

社会を知るのは意外にカンタンだ。
物乞いかホームレスになれば良い。
お金も無く地位も自分も無く、プライドもズタズタで、それでも生きていかなければならない。
そんな経験をすると、一般的な見栄や虚栄を取り去った人間の生々しい欲望と感情を観察でき、或る程度の教養のある人なら社会と言うものの厳しさが少し見えてくるかも知れない。
ホームレス中学生と言う本がベストセラーだ。
読んでみると面白い。
社会と言うもの、生きていくことの厳しさが見えてくる。

経済的に手厚い保護を受けているお嬢様、奥様には社会は見えない。

極道息子、極悪オヤジには社会が生々しく体感的に分かる。
紳士面した悪人にも分かる。
「メシ」「フロ」「ネル」の、ある意味善良で怠惰なオヤジには分からない。
モチロン働いたことのない専業の主婦には普通社会は分からない。
モチロン共働きの婦人には少し分かるかも知れないが、社会の全体像は見えない。

日本社会を知るためには、やはり少なくとも外国に行かなければならない。

最低でも本を読んで、知識や情報を身につけ、色々な苦労の体験を通じて、良い知恵つまり英知を身につけなければ、一生人生も社会も分からない。
それでも本人はシアワセかも知れないけれど・・・。

追記
今回の筆者のお伝えしたいことの要旨は、一言で言うなら「それ」を本当に知る為には、「それ」から離れなければならないのではないかと思う・・・ということだ。
「生きる」ことを知る為には「死ぬ」ことを。
「結婚」を知る為には「離婚」を、「富」を知る為には「貧」を、「光」を知る為には「闇」を。
これは多分に易学的思考であるが、これについては後述したい。

ありがとうございました

たくま癒やしの杜クリニック
M田朋久




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