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■ 愛について(4) | 2004. 8.19 |
残暑お見舞い申しあげます。 お盆には、精霊流しをしまして、母の霊を送りました。何だか悲しかったですね。「少年の夏」「子供の夏」の終わりみたいな。社会人になって夏休みがなくなったときのような気分です。 両親を失くすと、自分が子供でいれなくなる。まだ自分は子供のように未熟なのに。 ところで、「世界の中心で愛を叫ぶ」片山恭一著が売れている。なんと300万部だそうな。或る雑誌にこの小説のヒットに関して批評あり、このての本の読者を指して、「無思考型純愛依存症」などとして、やや批判的な記事でした。そのような無思考な人々が「蔓延」していると。 確かにそういうこともあるかも知れない。 しかし、純愛などというものは、「無思考」なものではないでしょうか。そもそも愛は考えて生まれるものなのかしら。現代は情報過多或いは、情報操作の時代かも知れず、現代人は無意識のうちに、無思考を選択しているのかも知れない。ギャンブルやゲーム、カラオケ、などあまり思考を要しない娯楽に多くの人々が耽溺しているかのように見える。 だから、とりあえず本を読むという行為が介在しており、そこに空想的な純愛に個人的に浸っているという現象には、少しも違和感を覚えないし、現代人の愛情欲求や特有の孤独感が仄見えて、どちらかというと好もしい。韓国ドラマ「冬のソナタ」の脅威的な大ヒットも同様な観点でやはり肯定的に私は見ている。 いかがなものでしょうか? 濱田朋久 拝 ありがとうございました。 |