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■ 喘息 | 2008. 4. 7 |
多分に心身症的病気であるから、比較的得意とする疾病であったが、今夜は大袈裟に言うとこの病気では医者になって初めて敗北宣言をして他医療機関へ搬送した。 テレサ・テンという有名な香港出身の歌手がこの病気の重い発作でその短い人生の幕をおろした。 確かまだ40代ではなかったかと思う。 重積発作と言って重い症状であり、長く続く例では結構難治である。 ただ、適切な治療や処置をすれば、甘く見てはイケナイが大概何とかなるものだ。 殆んど100%薬物治療が中心で、気管支拡張剤とステロイド剤とかの強力な抗炎症剤を大量に、急速に使えば改善するのであるが、今日はその薬物が救急セットとも一緒に院外に(関連している老人施設に)持ち出されていて在庫がなく、切羽扼腕というのだろうか、内科の医者としてなんとも悔しく情けない思いをした。 モチロン患者さんの救命が第1であるから、速やかに他の医療機関に救急車で搬送したのであるが、応援の看護婦さんともども大いに口惜しがった。 その口惜しい思いの深いところでは、最近の切迫した医療経営の台所事情から、かつては大量に所有できたさまざまの薬剤が余分にも予備にも置けなくなったという事情もあって、尚更であった。 丁度棚卸しの時期もあって、薬局はガランとしていた。 隣地にある院外薬局にはあるハズであるが、夜であり土曜日であり、開けて持って来てもらうには時間の余裕がない。 そのような色々な事情から早々に「他医搬送」という選択をしたワケであるが、何となく心が納まらずこれを書いている。 医療というのは、そもそも「人助け」を業としている。 今の日本で薬剤が無いハズはない。 無いハズは無いのにウチには実際は無かった。 今夜はなんだかアフリカの奥地で仕事をしているみたいだった。 その「人助け」というものは、どんな分野でもそうだが、或る程度の余裕が要るものだ。 物質的にも時間的にも、経済的にも肉体的にも余裕があってこそそれができる。 お金も時間も健康も「無い」人が、人を助けることはできないであろう。 約30年間も続いている医療費抑制という政治方針に左右される医療の第1線の担い手としての悲哀を今日はしみじみと味わった。 昔あんなに潤沢に使えたクスリが、アフリカの開発途上国なみに院内にはなかったのだ。 行政府も、これからはさらにガイドラインとかエビデンス(根拠)に基づいた治療をしなさいヨとか、さまざまな制約をかけようという気配がある。 ヤレヤレ、日本はホントウに先進国なのであろうか? 街並みの中で、すべてではないがどんどんみすぼらしくなっていく医療施設をしみじみと眺めていると、一部の企業の経済発展の割には、近代化していかない医療設備と医療制度。 未来はどうなっていくのであろうか。 どんな業種や業態であれ、栄枯盛衰はつきものだが、医療という分野は、今発展している健康産業とか製薬メーカーとちがって不思議に、いつの間にか負け組の地方の建設業と同じように構造的不況業種に成り果ててしまった。 改革という美名のもとに、どちらかと言うと旧守派、つまり郵便局と同じ抵抗勢力と見なされていて、実際に国家の制度に守られてきた分野なので、いたしかたのないことなのかもしれないけれど、何となく愚痴のひとつも言いたくなって、小雨の後の満開の桜が、街灯に照らされて白く濡れ光っている悩ましい美しさを愛でながらこれを書いている。 スミマセン。お役に立てなくて。 患者さんに無駄足をさせてしまったこと、看護婦さんに「何でクスリがないだー」と怒鳴ってしまったことを詫びながら、救急車の人々への感謝しながら・・・。搬送先のドクター(女医さんであったので、何となく電話の声はソフトであったが内容は厳しい)に感謝しながら・・・。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |