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■ 赤信号一人で走れば怖くない | 2008. 4. 5 |
チョット昔、ビートたけしの大流行したギャグに 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 というのがあったが、今は「みんなが渡る青信号はとても怖い」という感覚がある。 夥しい数のクルマが、都会の信号でとりあえず歩行する人々の為に止まってくれているが、ゆっくり歩いている人々はマチガッテ頭のおかしくなったドライバーとか、心筋梗塞とか脳卒中とかで意識の突然なくなった人とか、物凄くヘタクソな運転しかできない初心者のドライバーが、ブレーキとアクセルをマチガッテ踏んでしまって暴走するなんて考えないのだろうか。 先日、子供達を含んだ家族5人で旅行をした時に、横断歩道をみんなで渡っていた時に、一人なら暴走車から逃げ切れるかも知れないけれど、他の家族のメンバーを果たして守りきれるかと考えた時に、一瞬ゾッとしてしまったことがある。 みんながみんな、青信号の時のドライバーの人々をとりあえず信頼していることになるから、或る意味とてものどかな風景とも受け取れる。 田舎道をゆっくりと渡る牛馬の列を多少イライラしながら待つ車の行列を見るようである。 一方で、100mから300mは広々と見渡せる車の一台も通りそうもない空港の横断歩道の赤信号をじっと待つ人々も多く見かけ、とても不思議な気持ちになる。 こういう場合、ひとりで赤信号を静かに悠々と渡ることにしている。 完全な道路交通法違反であるが・・・。 何を言おうとしているかというと、「赤信号であろうと、青信号であろうとみんなが渡っているからと言って、決して安全ではないヨ」ということをお伝えしたいのだ。 今は、何となくみんな少しづつ世間とかメディアとか世の中のトレンド、流れに騙されているか、押し流されているのではないかと何となく疑ってしまう。 自分達の思考パターン、世間全体の風潮というものに、知らず知らずに盲従している感じがする。 最もそれを感じるのが、街を歩く人々の、特に日本人のファッションだ。 センスとか美とか無視して流行のモノを身に付け、有名ブランドのおそろいのバッグを持っていて何の気恥ずかしさも感じていない風があるように見える。 自己主張をしているようで、逆に全体に溶け込んでしまい、その意図に反し極めて没個性的に見える。 これは以前にも書いた。 これもまた以前に書いたが、テレビや新聞の情報を鵜呑みにして、何の思考や意見もそれに差し挟まないかのように見える。 最近は、一番信じられないのが、最もポピュラーな新聞、N新聞とNビジネスという雑誌だ。 或る考え方や意図を持って記事が書かれてあり、それらを読者に上手に押し付けていて思わず笑ってしまうほどだ。 最近は、何かしらの良からぬ利益目的の誘導記事もあり、ケシカランナァと思いながら、とりあえずは時々目を通しているけれど、いつも「何だこりゃあ」という感想が多くなった。 今朝は、或る高齢の患者さんが当クリニックに飛び込んで来て、件の新聞記事を私に見せて「心配です。どうしましょう?」と尋ねられるので、その記事を読んでみると、嘘八百とまではいかないけれど、嘘六百か嘘四百くらいではあった。 明らかに読者にマチガッタ認識を植え付けるような内容の記事を「国立○○研究所」の名前を出して書いてあったので、殆んどの人は信じてしまうだろうなあと思いながら、ジュンジュンとそのデマカセを正してあげたところ、とても安心して喜んで帰られた。かなり高齢の方であったが、とても賢い人であった。 今はとにかく情報があきらかに操作されている。 ある方向に行かされようとしている。 そんな気がしている。 ハーバード大学のマイケル・E・ポーターという経済学の教授の話など笑止千万である。 CSR、つまり「企業の社会的責任」を、企業の戦略として考えようというような記事であったが、これこそグローバリゼーション的思考の産物であり、アイデアである。 本来国家が公平に情義を持って行うべき、社会的活動を企業が率先して行うことで企業価値を高めようというような思想であるが、これは私は違うと思う。 企業の目的はやはり、営利の追求である。 これは企業の本能であって仕方のないことだ。 これを種々の社会的事業と結びつけるのは何となく聞こえは良いが、危険な思想と思える。 何故なら、「企業の戦略」としての見せかけの「社会的責任」であるからである。 グローバリゼーションというのは、企業の活動を国家や地域をドンドン越えても良いですヨという考え方であるので、国家を越えて活動している多国籍企業や世界企業にとってはとても便利であるが、国というものの本来の意味や存在価値が小さくなっているような気がする。 つまり、国民の福利とか教育とか安全とか保護とかの大切な機能があるが、そういう大事な国家の役割みたいなものなどを企業に売り渡しているような気がするのだ。 国家と経済政策。 これは人間にとって永遠のテーマであるとは思うが、現時点では上記したように、どうもすべてが特定の企業に、特に巨大な国際企業に有利にシステムができつつあるように思える。 みんながそれを不思議とも思わず、唯々諾々と何の思考もなく受け入れ人々の興味や関心を携帯電話とかインターネットとか、テレビとかゲーム機とか、パチンコとかスポーツとか、映画とか人生にとってどうでも良いような活動に向けさせ、一部の情報を集積し、活用している一部の人が人々を洗脳操作して、何かしらの方向に向かわせようとしているように、何となく感じられて、とても不気味な気がするのである。 こういう危機感覚は私だけのモノであろうか。 いずれにしても、私は青信号でも安心して渡らず、安全なら赤信号でも渡る。 みんながするからと言って簡単には同調したくはない。 たとえ赤信号でも、自分で安全を確認して素早くひとりででも走り抜ける。 そんなつもりでいる。 今のところ、その方が余程安全ではないかと思えるから・・・。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |