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■ 桜・日本人の美学 | 2008. 3.29 |
今年は桜の見頃、3月下旬になっても夜はしんしんと冷える日が続いている。 カゼ気味の人には、辛いかも知れないが花冷えの春は好きだ。 街灯に照らされて白く光る夜桜が、湿気を含んだ冷たい夜気にさらされて、心なしか元気に見える。 日本の国花は桜だ。 天皇家は菊の御紋。 警視庁を桜田門というけれど、警察も意外や菊だ。 イザヤ・ベンダサンというユダヤ人の書いた有名な著書に「菊と刀」というのがある。 当時の日本人論として、結構世界に名を馳せた本だ。 菊というのは天皇・皇室で、刀は武士。 桜というのは武士、幕府に近い。 武士道については、新渡戸稲造という人が大戦前にアメリカにいる時に英語で著わした本がそのものずばり「武士道」として世界中に知らされたが、結果的には戦争の抑止効果は無かった。 逆に戦争突入後、その終結後の対日本人処置、研究に使われたような趣きがある。 今は、五千円札の顔に収まっているが、千円札の夏目漱石と言い、1万円札の福沢諭吉と言い、どちらかと言うと典型的武士道派の日本人と言うより、やや西欧寄りの人物がお札に収まっているのが奇妙だ。 夏目漱石などは、イギリス留学中にかなり深刻な西洋人コンプレックスを味わったらしい。 福沢諭吉については、同じ咸臨丸に乗船してアメリカに渡った直心影流の剣客、勝海舟を蛇蝎のごとく嫌っていたようだ。 詳しいいきさつは不明だ。 剣禅一如。 剣の道と禅の修業を重ねた少年時代と、洋学を学んだ青年期。 幕府と討幕派の薩長や土佐の坂本竜馬などと親交のあった勝海舟と、大阪の蘭学塾・適塾出身の福沢諭吉ではソリが合わないのは当然であろう。 福沢も勝も晩年の人相はどちらもあまり良くないが、勝海舟の中年期の相貌は、同時代の日本人の顔としては秀逸である。 天璋院篤姫も、この相貌に負けたのかも知れない。 東洋と西洋、佐幕か倒幕か、蘭学か禅(仏教)、開国か攘夷か日本中が揺れていた当時の日本を絶妙のバランス感覚で通り抜け、晩年は悠々自適の隠居生活送った勝海舟と、今や私学第一等の慶応大学の創始者では生き方や価値観が違う筈だ。 個人的に勝海舟の方が好きだ。 理由はない。 総合的なものだ。 パッと咲いてパッと散る。 桜の花の命は極めて短い。 イギリスで咲く桜は比較的長く咲いているようだが・・・。 日本人の死生観、人生観、美学を読み解く時に、桜は欠かせない。 春の眩しいばかりの陽光の中、ハラハラと散り行く桜吹雪。 日本人の美意識の究極のカタチが桜にはあるようだ。 宵越しの金はモタネェ〜。 江戸っ子気質のベランメェ。 これは人生50年の当時には通用した。 現役バリバリの年令で死を迎える。 そういう人間に金は不要だ。 今は人生80年。 仕事のできる現役を退いて20年から30年近くもある。 ヘタすると40年だ。 仕事をしないで生きていくにはお金の蓄えや年金がいる。 だからこそみんな拝金主義者になるのであろう。 若者はその欲望と怠惰さゆえに、中年はその性欲と権力欲ゆえに、老年は健康と「老後」の安心という人生のカタチのためにお金と言うものを渇望するようだ。 今や日本人も「桜の美学」など消し飛んで生きることに汲々としているように見える。 「武士道とは死ぬことと見つけたり」肥前鍋島藩の剣客・山本常朝の「葉隠」の有名な言葉だが、武士道の古典、日本人の美学と言えばやはり、滅びの美学、死の美学なのだ。 日本人の美学は、中国人のようにしぶとく貪欲に「生きる」というのとは大きく趣を異にする。 皮肉なことにそういう日本人は世界一の長寿国だ。「渇望しないことが手に入る」そんな理屈のとおりである。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |