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■ 男の嫉妬心について | 2008. 3.25 |
若い時から、嫉妬心はかなり強かった方だ。 45歳くらいまでつづいたけれど、なぜか自然にあまりしなくなった。 「人は人。自分は自分。」と少し思えるようになった。 確か三島由紀夫が、嫉妬心についてうまい表現をしていたが内容は忘れてしまった。 似たような感情で、劣等感・コンプレックスというのも少年時代からかなり強かったが、これも今はあまり無い。 高校生時代は、不思議なことに美しい女性を見ると物凄く嫉ましく狂おしい胸の痛みさえ感じる程であったが、最近はこれも無くなった。 殆んど絶対にそういう女性とは縁が無いであろうと思っていたからだと思う。 詳しいところ自分でも良くわからない。 特に白人の女性で女優さんなんかで美しい人を映画なんかで見ると、奇妙な虚脱感を胸底に重く沈殿させるような、ある種人生への絶望みたいな、日本人と生まれてきた不条理さに気分が沈む程で あったが、最近はこれも全くなくなってしまった。 外国、特にヨーロッパやアメリカに行っても近頃では、どんなに白人の男女が体格が良く美しい容姿をしていても、昔のようにコンプレックスは感じなくなった。 逆に日本人として軽い優越感すら味わう程だ。 やはり、日本の文化とか伝統とか精神とか、世界史とか、歴史とかを勉強すればする程、自分の国への誇りとか自慢心みたいな心持が、精神の内部に生じチットモ外国のや外国人を羨ましいとは思わなくなった。 最近の映画などを見ると、女性も男性も日本人の方が美しいとさえ思える。 ただし、韓国人の男女優さんは映画で見る限り、個人的には日本人の男女優よりやや好ましい。 昔の美人女優のイングリッド・バーグマンとかグレース・ケリーとかデボラ・カーなどより、山本富士子とか高峰季子あたりの方が美しいと感じる。(古いですね〜) 年のせいであろうか。 これは自分だけの感覚であるが、近頃は映画を見てもチットモ美人が出てこないような気がする。 日本映画でも外国映画でもだ。 自分の関係する熊本市内の診療所に来られる患者さんや看護師さんの方が、美しいのではないかとさえ思う。 何人か芸能界の人でも東京にいた時に間近でみたことがあるが、これもまた残念ながら美しいとは思わなかった。 ただ草笛光子という女優さんは綺麗だったですね。 もともと美への憧れが強いのであるが、テレビを見ても映画を見てもため息が出るほど美しい女性というのはこの頃滅多に見かけない。 だから気分は極めて良好である。 何しろ心が騒がない。 嫉妬心も沸かない。 美の基準が急に上昇してしまって、普通の女性美では満足しない。 まず内面の問題もある。またそういう人を手に入れようなどという分不相応で不届きな欲求もないので尚更だ。 誰になんと言われようと、少々年季も入っているが「配偶者」が一番だ。しみじみと見つめてみるとまんざらでもないなあ・・とやにさがっている。 Happiness consists incontentment! 満足する者は幸福なり 頭が良く賢く知的で野生的で欲張りで寛容で貪欲で好奇心が強く、健康で打算的で素直で従順で髪はこれくらいで、ファッションはこうでと、心の中での女性についての要求水準は我ながら高くなる一方だ。 痩せてもいず、太ってもいず、背も高からず低からず、ファッションセンスも立居振舞いもとなると、そういう女性はこの世には存在しないと思うので今は気分はサッパリしている。 あまりに完璧を求めると逆に「いい加減」の極致に至るのかも知れない。そもそも人間の美というものは、とてもはかなくうつろいやすく短いものなのだ。最終的には「白骨」である。 こういうことをあまり深く考えていると何もかもどうでも良くなってくる。 男の嫉妬心といえるのは、世界一の金持ちとか世界一女性にもてる美男子とかよりも、「素晴らしく素敵な女性に愛される男」というのが一番嫉ましいのではないだろうか。 これは古今東西の男の嫉妬の中心的テーマである。 男にとっては富も権力も、地位も名誉も実のところ女性の愛を勝ちとるためのものなのではないだろうかと思う。 スコット・フィッツジェラルドの傑作小説「グレート・ギャツビー」が参考になる。 追記@ 男が女性に愛されようとする努力 女が男性に愛されようとする努力 これらは人類にとって切実なものであり、極めて健全なものに思える。 これらの欲動欲求が人類の文明や世界文化の発展の原動力となってきた。 人間の「性欲」というものを中心に歴史や文明や文化や風俗や、小説や映画などをありのままに真摯に眺めてみると、人間の種々の活動も呆れる程単純化されて見えてくる。 人間の歴史というものも突き詰めて考えれば、主に女性の支配欲求や愛欲に突き動かされた単純で無垢な男達の争いの連続ドラマのパノラマ集合体であるように思える。 追記A 一時、確か自分が40歳か50歳くらいからであるが、女性の容姿とその魅力は殆んど無関係ではあるまいかと思っていたけれども、今は少し宗旨替えをしている。 その人の内面、精神、知性、エロスはどうしても表(おもて、表情や容姿)に出てくるので、生来的な美貌とは何か異なる重大な要素があると思えるが、何かとは一言では表現できない。 時々は、特に目立たない、地味で特に美しくもない女性が思わぬ輝きを持った素晴らしい魅力を持っていてビックリしたりする。 これを男性雑誌の人気ランキングなどで見ると、上位の人は特に容姿が美しくも何とも無いことがあるけれど、その“魅力”については異論はほとんど無いことが多く誠に不思議である。 男の女性に対する好みの「オソロシイ」までの普遍性に驚嘆してしまう。その魅力は何かと聞かれれば、それはやはり総合的な深い意味での「エロス」というものではないかと思える。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック |