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■ 悩める人々について | 2008. 3.18 |
悩んでいる人は魅力が無い。 何故かというと「自分」のことしか考えていないからだ。 近所の人が交通事故に遭っても、隣の家の子供が大怪我しても、ましてや日本国内に大災害が起こっても、アフリカの内戦で何万人もの難民が出ても、みんな自分のことに関係しない限り、驚くほど悩まない。 健康問題を例にあげるなら、自分の指の爪が少し傷ついても悩む。 ましてや白髪が少し増えたり、抜け毛が増えたり、顔のしみやシワが少し出たりするだけで、人によっては大騒ぎして悩む。 悪い病気の兆候が出ようものなら自殺するくらいに悩む。 金銭問題もしかりである。 出費が増えて少し財産が減っても悩む。 もちろん赤字ならもっと悩む。 家計が苦しいと悩むのは現代では当然であろう。 お金がないと現代生活ではニッチもサッチもいかない。 進学するか辞めるか、結婚するか離婚するか、また悩む。 中には、他人が自分より出世したり、儲けたり、不倫やらの道ならぬ恋でも正しい恋愛でも、他人が幸せになると嫉妬して悩んだりする。 本当に人間はヤヤコシイ。 悩むのが好きだ。 もっと軽微な悩みなら、あの時にあんなこと言わなければ良かったとか、あの時あんなことを言われたとか、他人の言動でも悩む。 悩みの共通点は、やはり殆んどが自分のことだ。 少し程度の良い悩みなら、自分の子供達の将来は等と悩む。 これはやや魅力的だ。 その人間が優しく愛情深い人間と見えるからだ。 もっと高貴な悩みなら、人類の未来への絶望とか、世界の混乱とか、地域の紛争とか、貧困とか飢餓とかで悩む。 そんな人は滅多にいない。 日常的に悩みといえば、殆んど自分のことだ。 こう考えると、悩める人々とはエゴイストの集団でということになる。 悩みの解決法として、「他者を喜ばせる方法を考える」という手法があるそうだ。 以前に、不治の病でベッド上の生活をしているお年寄りの婦人が、周囲の人に常に笑顔で接して暖かい励ましの言葉をかけ、時に相手を思いやる、素敵なプレゼントを考えて考えてあげたりする映画があったがモチロンこのご婦人は物凄く美しく魅力的に描いてあって、実際に美しいしい表情をして、幸せそうであった。 よく悪性の病気や不治の病で余命いくばくもないと宣告された人というのは悩みの極致であるが、最初は否定し、抵抗し、怒り、悲しみ、孤独への恐怖、死への恐れへと進み、ついにはあきらめるという経緯をとる。 これは自然な流れであるが、この感情や思考の混乱は、段階を追って順に進むのではなく、激しく往来し、煩悶し、もだえ苦しむ。 どんどん追い詰められる感じであろう。 自分の思い通りにいかないもどかしさ、無念さ、未来への恐怖に打ちひしがれる。 人間の苦悩の典型的なパターンがあるが、これらの救われるパターンもまた定型的である。 それは一言で述べるならやはり他者への愛だ。 愛する家族 愛する周囲の人々への愛 人類への愛の為に、 自分自身を勇気を持って捧げた時に、その苦悩する魂は救われるようだ。 つまり、「自分」というものへのこだわりから解放され、他者とのつながり即ち愛の世界へと自らを無心に投じてしまうと決意した時、やすらかな心の安寧を得るようである。 追記@ 中国の司馬遷という人は、同輩の奸計に合い、宮刑(男根を切り取られる)という厳しい刑に処せられる。 激しく苦悩するが、後世の為に書き続けた中国の歴史書の編纂を完成させた。 追記A 精神分析のひとつの概論を打ち立てたフロイトという精神科医は上顎の癌で何度の手術を受け、治療の放射線を浴びながらも自らの研究と診療を続け、ひとつの概論を完成させた。 医者から禁じられたパイプタバコも生涯やめることは無かったそうだ。 「他者の為に生きること」は、自分のことを考えすぎる、こだわりすぎる悩める人々への最良の行動処方箋かもしれない。 追記B 自己への執着は悩みを生む。 自己の天与の試練への放擲は、悩みを解放させ自らを救う。・・・ようだ。 ありがとうございました たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |