コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 卒業式2008. 3.11

初めて公立中学校の卒業式に参列した。
3月とはいえ小雨の降る寒い朝だ。
広々として冷え冷えとした体育館でとりおこなわれた卒業式には、息子が卒業生として座っていて、私は来賓席(学校医)から全体を見渡して色々考えていた。そのことを書いてみたい。

教育というのは、最も価値のある生きるための社会的ツールだ。
夏目漱石の「坊ちゃん」も、イギリスの作家ジョージ・バーナード・ショウも、親の遺産は自らの教育費に使った。私の父もそうだし、私の親も最もエネルギーとお金を使ったのは教育である。

学歴という問題もある。高校卒の前妻の子供は結構アタマは良いが、入社した会社で大学卒の人々と肩を並べて仕事をしながら高卒の悲哀をしみじみと語った。
大卒の親には理解できんだろうと、自分の複雑な胸中を言葉にできず、とまどいながら吐露していた。

そういうものだろう。
何となく想像はできる。
以前、学歴詐称で国会議員を辞めた人がいたが、気持ちはわかる。

今年の県知事選挙では、高卒ながらアメリカの大学を卒業して東大教授にまでなった元JA職員の人が出馬しているが、これなども稀なケースであるし、逆に個人のブランドとして学歴というものの重みをさらに感じさせる経歴宣伝に思える。根底にある思想は学歴詐称の国会議員と何ら変わることはない。

公立中学校は、率直に言って誰にでも卒業できる。
留年や退学は無い。
時間が来れば卒業となる。
だからこそ厳しい世界だ。
何でも自力で努力せねばならない。
油断していると完全に落ちこぼれる。
親以外に助けてくれる人はいない。
教育の重い価値など知らされていない子供も多い。

公教育が無ければ、文字を読んだり、書いたり、話をしたり、聞いたり、計算したり、世の中のしきたりや礼儀を身につけることができないから、本人は極めて不便な境遇に甘んじなければならないだろうし、社会も会社も家族も成り立っていかない。
義務教育というものは、とてもありがたいものでもあるのだ。

「独学」という手があるが、これはひとえに「読書力」にかかっている。
まず好奇心が大事であるし、親の力や家庭教師や、教える人がいる。

「教育」というのは、生きていく為の道具と考えている。
「学校生活」への郷愁などというものは最初からないので、競争は当り前で、友人達は出し抜くものだと長い間思って頑張ってきた。

これは一見「恥ずかしい」考え方であるが、結果的には大学も入れたし、卒業もできて、或る程度勉強もできて、個人的には良かったと思える。

卒業式の送辞や答辞、校長や来賓の挨拶などを聞いていると、私立とくらべ、どうしても「学校生活」そのものへの郷愁や思い入れとかを感じる。だからある意味とても「感動的」。涙の卒業式だ。何しろ過去を向いている。しかし物凄く頑張って卒業したという「感動」ではなさそうだ。単なるセンチメンタルではないだろうか?

卒業式の第一の意義は先生方への感謝の会だ。
そして卒業が厳しい難関であれば、卒業生へのねぎらいの意味もある。ただやはり公立の中学校ではそれは弱い気がする。
卒業が難しければ難しいほど感動も深く喜びも大きい筈だ。
公教育では、教育というものが、人生の準備とか練習とか、社会で何とか生きていく為の道具・スキルを得たという感覚が薄い気がする。


私は医者で医学部を出たが、大学卒業という感覚より、「実業学校」を卒業したという意識である。
自動車学校のように、免許を取る為に学校に行ったのであって、或る意味資格を取ったら、出身大学など、どうでも良いという感じだ。

東大の医学部を出ようと、地方のボンクラ大学を出ようと免許を取った医者なら、有資格の医者という意味でみんな同じだ。

ドライでクールな考え方かも知れないが、現実はそうなっている。
当地は熊本県だから、先生は「熊大卒ですか?」とよく聞かれるが、昔は少し恥ずかしそうに出身大学を答えていたが、今はハッキリと「ちがいます。」とだけ答えている。
出身大学などどうでも良いことであろうことに最近きづいたからである。
そんなものにこだわっているより、毎日着々と勉強を積み重ね、自分の職業についての精進をすることがはるかに大事だ。

名門中学、名門高校、名門大学に果たしてどんな意味があるのだろうか。みんなブランドが大好きなのだろう、多分。
みんな仲間をつくって「部外者」を排除しているなら、ケシカランことであるが、それも実力かもしれない。世の中は最終的には実力と自力と運の世界だ。それでも学歴学閥というのはまだまだ通用するらしい。

しかし一部上場の優良企業でも、東大卒の割合が増えると業績が悪化するそうだ。
だから、名門大学中の名門が東京大学であってもそういう状況であるから、出身大学など当てにしないようにしている。

従業員、総勢100名程の企業グループであるが学歴はさまざまで、最も優秀な人は日大中退で、次は高卒と無名大学卒だ。
有名大学の出身者は仕事ができず辞めてしまった。

中学というのは、実は最も大事な時期でこの時期に殆んどの学業についての能力は決まってしまうそうだ。
このことは意外に知られていない。

高校などというものは、実業高校以外は大学の予備校と思えば丁度良い。

だから大学に行かない人は、実業高校に行くか、何か手に職を身につける修行に出るか、「独学」を憶えた方が良いと思う。

こんなこと卒業式のスピーチでは誰も言わないだろう。
けれど一度言ってみたい。

言葉は悪いけど、みんな耳障りの良い、空虚なスピーチを、生徒までしていたのが印象的であった。ひとつには頑張って頑張って卒業をしたという「感動」が基本的に弱いのでそういう演出がセレモ二イとして必要なのかも知れない。

なぜか昼食の後の昼寝で悪夢まで見てしまった。

どういう悪夢かというと、暴力団に囲まれた時に、警察を呼んだら、警察と暴力団がつながっていて、助けてくれなかった。という結構リアルなストーリーであった。
なんでこんな夢をみたのであろう?

たくま癒やしの杜クリニック
M田朋久





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