[戻る] |
■ 美しい人 | 2008. 3.10 |
小林正観という旅行作家によれば、「美」という字は「羊」と「大」から成り立っているらしい。 大きい羊は、肉食の獣に襲われた場合には、自らを犠牲にして集団を助けるために喰われるそうである。 「義」という字も「我」と「羊」から成るそうで、正しいという意味があり、公に対して、つまり仲間となる集団に対して使われる。 いずれにしても、羊というのは可哀そうだ。 何となく「生け贄」にされてしまう。 こうしてみると「美」というのはどうも自己犠牲的なものであるらしい。 一般的には、高価な衣装や装飾品で着飾り、美しく化粧をした女性などを美しい人と呼びそうだが、或る意味そういう女性にはチットモ自己犠牲的ではないから、真の意味では「美しい人」とは言えないかも知れない。 子供を出産した直後の女性はとても美しい。幼い子供を抱えて懸命に生きている女性も素晴らしく美しい。見映えも中身も美しい。 たとえ身なりが粗末でチグハグでも美しい。 素朴で純粋な文句なしの美しさだ。 やはり生命がけなのだろう。 それこそ、出産から子育てまでの一連の流れは身を削る自己犠牲そのものといえるかも知れない。 男の場合は、誤解を恐れずに言えば、やはり危機的状況における「軍人」が一番美しいと思う。 「武士」が一番美しい。 公に生命を捧げるという究極の自己犠牲だからであろうか。 鹿児島県の知覧町の特攻記念館の若い奉国の男達・少年達の顔を見ると、何とも晴れやかな清々しい笑顔と、死を覚悟した人間の諦観がうかがえる。 色々複雑な思いはあるとしても、とても美しい表情をしている。 そして、遺した文章はどれも名文である。名筆である。不思議な事だ。 そして、さらに不思議な事に、この特攻記念館は入館するだけで理由のない厳かな気分と、知らず知らずに静かな涙が目に滲んでくる。 人生の感動には、「美しさ」は必須である。と思う。 その美しさは、どちらかというと芸術的なものではなく、内面的で精神的なものだ。 本当の意味の「美しい人」は、やはり、他者のために己を捧げる覚悟と矜持を持った人に違いない。 それは、別に特攻隊に行くような軍人でなくとも、懸命に真剣に自らの仕事や学問や家事や子育てや、さまざまの活動を通じて、社会や他者のために何かしらの貢献をしようという意志を持った全ての人々といっても良いと思う。 そういう表情を持った人はマチガイナク美しく、何かしらの目に見えないオーラを周囲に放ち、辺りを明るくしている。 美しい人は明るいとも言える。 【追記】 天皇陛下が言われた言葉に「美しいものを美しいと言える心を持った人になって欲しい」というものがあるが、このような心こそ人間が人間である証拠であると思う。 日本人の最大の長所というのは、この美意識だそうだ。 今は「ひな祭り」。 高価な「お雛様」も一瞬飾られただけで、殆ど陽の目を見ない納戸に納められている。 陰と陽のバランスの絶妙な素晴らしい文化だと思える。 5月5日は男のこの節句で休日。 3月3日は女の子の節句で休日ではなく、ひそやかにつつましく祝われる。 姦しい男女同権の欲求もこのしきたりには未だ及ばないようだ。 女性の美というのはやはり「陰」の美なのだ。・・・恐らく。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック M田朋久 |