[戻る] |
■ 堕ちた人々 | 2008. 3. 3 |
少し、暗く重いテーマだ。 世間で言うところの、マトモな仕事とマトモでない仕事を分ける基準は何かと言うと、それは、人に言えるかどうかだ・・・と思う。決して収入の多寡ではなさそうである。 特に、親に言えるかどうかは問題であろう。 特に女性の場合は、やはりマトモでない仕事と言えるであろうAVとかフーゾクとかその他性的産業にたずさわる人々の場合。最近では結構名前も知られ、顔も知られ、割合平然としている人々も見られるが、内実と末路はやはり、少し、悲惨であるようだ。 個人的には、全く、哀れむとか、気の毒とか、見下すとかはなく、社会で必要とされるリッパな仕事と思えるし、孤独な男性にお金で愛情と癒やしを売るのであるから、堂々としておけば良いと思うのであるが、そのような人々のドキュメントを読むと、やはり、精神的にはドンドン荒廃していくものであるようだ。 男の場合、例えばヤクザさんの場合、割と堂々としているが、もともと見栄やハッタリを張る仕事であるから、高級外車や、高級ブランドの衣服やら、高価な装飾品を身に着けて、これ見よがしに自分の身分職業を誇示したがるが、これは、脅すというのが職業上の手法のひとつであるから、仕方のないことである。 しかし、やはり、マトモな親には不肖の息子として、処遇、応接されることが当然ながら多いらしい。 話は飛んでしまったが、女性の場合、そのような仕事をしている人々は、何かを擦り減らし消耗していくものであるようだ。 また、そのような人々の生い立ちも、昔のように、収入や身分の格差における低層の人々というよりも、親の虐待であるとか、無視であるとか、主として親子関係において、深い心の傷(トラウマ)を負った人々が多いようだ。 そしてその生い立ちには、具体的な暴力などよりも、もっと精神的には情的なもの、潤いのようなもの、湿り気のようなもののない、寒々として殺伐とした心象風景が見え隠れする。もっと言うならお金のこととか、外聞のこと、世間体のこと、虚栄とか、見栄とかを重視して、「心」とか「情」とかの薄い家庭に育ったという印象がある。 多少、荒れ狂っていても、このような精神的な湿り気、つまり「愛情」というものがしっかりと家の中に濃密にある場合、逆に少し危険も孕んでいるのではあるが、そのような人に言えない職業には就かないようだ。 「普通の親が欲しい」 堕ちた人々の共通の切ない叫びだ。 普通というのは、結構高い基準であるのだけれども、元来、平和とか平凡とかは努力して勝ち獲るものなのだ。決して自然に得られるものではない。 油断をしていると、人間はすぐに堕ちる。特に女性は堕ちやすい。(スミマセン) 子供の成績も、油断するとすぐ落ちる。 「普通の人々」という映画があって、確かロバート・レッドフォードが撮って、ドナルド・サザーランドが主演していたが、普通の中にも逆に深い陥穽があって、一気に人は落ちていく。特に子供は・・・。 今は特に子供達をさまざまな誘惑や罠にハマらないように守りながら、上手に育てていくのは至難の技のように思えてくる。 みんな良くやっている。 「堕ちない」為のコツはある。 それは、やはり読書だ。 良書を読んで心を養えば、もしかして奈落から這い上がることができるかも知れない。 そして、誰かしら暖かい人柄の人物の厚い保護だ。 我が法人グループにも、もちろん堕ちていった人々もいるが、どういうワケか、出戻って来た人は生還して、人並みの幸福を勝ち得るようだ。 シングルマザーとして入社したある看護師の女性は、システム販売の営業に転じ、夜の商売に一時入ったが、やはり看護師として復職し、今は優しく誠実な男性とシアワセな家庭を築いている。 この先どうなるか分からないけれども・・・。 元気になって生還した人の話がよく出てくるが、看護師という職業が結構多い。多分、人の「お世話」という意味で似ているのであろう。 女性の殺人者は何故か世界中で同じ現象であるが、職業の50%は看護師である。確かに、有能な看護師というのは、どこかしらヤバイ趣をどこかにたたえている。良い意味でも悪い意味でも・・・。 ただ、そこに純粋さとか、善良さとか、素直さとかがあると、何かしらの幸福とか、成功とかの人生での実りを勝ち取るような気もする。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |