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■ 最近の家族夫婦の絆について | 2008. 3. 1 |
いやはや、今年もアッという間に春になってしまった。今夜は3月1日である。 こないだ正月で、2月になり、寒い寒いと言っていたらもう3月だ。仕事が忙しいので、1週間の過ぎるのがとても早く感じる。年を取るのも忘れるくらいだが、確実に時間は過ぎている。 こういうところの感覚を「浦島太郎」という寓話は、表しているのかも知れない。 日常の快楽(仕事も車の運転も読書もバスケットも含まれる)に溺れていると、いつの間にか老人だ〜。ナンテネ。 前置きはさておき、物事には必ず終わりがある。 特に心理の分野では、どうしても終了しておかなければならないのが、親子関係のステップだ。 「家族の寿命」というコラムで、以前にも書いたが、家族というのはどんどん変容する。今は春だから、卒業、入学、就職、退職、定年、などなど物事の始まりと終わりの錯綜としている時候だ。中には結婚、出産、離婚、死別など、人生の大イベントを控えている人もいるし、経験した人もいる。 悲喜こもごもというより、厳然とクールに考えれば、何も不自然なことは無い。 人間の意識の深いところでは、それらの重大だと思えていた人生のイベントですら、終わってみれば何ということの無い、生命の脈々とした営みの、ただの1ページ、いやただの1行と感づいているはずだ。大いなる人類の歴史から見れば、その1行にもならないかも知れない。 ただ、その家族の中から人類に多大な貢献をした「偉人」も生まれ、世間を騒がせる「大犯罪者」も生まれる。 ここで述べたいのは、家族の盛衰、成長と衰退の中で、親子の関係は、思春期、青年期を境にして、大きく方向転換をしなければならないのではないかという現実についてだ。 つまり、甘い蜜月は終わり、親も子も粘っこい、トロけるような、依存関係を、できるだけスッパリと解消し、新しい異性や仕事へと手渡さなければならず、親もまた、子供達に奪われていた自らの配偶者を、取り返さなければならない。 ただし、今は、取り返すどころか、子供達の巣立ち、旅立ちと同時期に、夫婦関係も大いなる危機にさらされて、分裂寸前というのもある。 簡単に言うと、バランスが崩れるということだ。 どうしても「夫婦差し向かい」というのは余程相性の良い、ラブラブのカップルでも無ければ、とても耐えられるものではない。 共通の楽しみや趣味のあるカップルは或る意味、とても幸せである。 子は鎹(かすがい)とは良く言ったものだ。 子供を育て、旅立たせるというのが家族の最大の目的とすれば、当然の帰結かも知れないが、夫婦差し向かいの老いた男女達の物悲しさ、閉塞感は痛ましい。 それは、いがみ合っていても、強力な依存関係でも、ハタから見ていると、あまり変わりはない。 お互いに「苦しんでいる」という点で。 私の持論だが、夫婦二人きりで楽しいラブラブのカップルの生まれる確率は最大で1/9。最小で1/81。 つまり、極めて少ないということだ。 昭和ヒトケタ生まれの日本人は、とても我慢強い。 男女共、忍耐強く、居心地の悪い夫婦関係でも一生懸命つづけておられる。 この頃の男女は、相性が良くても悪くてもアッという間に離婚してしまうようだ。 いずれにしても、子供はいったん家族から離れると、うまく育てられた子供ほど、家族のもとに帰っては来ない。 小津安二郎監督の世界的名作「東京物語」はこの家族の盛衰と親子関係、夫婦関係の、ある意味でとても理想的ありようを絶妙に描いていて、大変な傑作となっている。 老父母というのは、成人して社会で活躍している子供にとっては、いくら良い親であったとしても、実は厄介なものなのだ。 これから団塊の世代が謂わゆる老人へと突入する。 これは個人的予想であるが、この人々は、個人主義、競争主義、金銭至上主義、成長拡大主義が骨のズイまで染み込んでいるので社会から疎まれ忌み嫌われる老人になるか、自らの持てるキャリアと人脈と経済力とで、生涯現役と胆を決め、幸せな仕事上の戦死か、甘い腹上死か、集合老人マンションの楽しい「老後」老人になるか、選択せねばなるまい・・・と思う。 一方、団塊のご夫人達は、意気軒ミとして、夫の蓄積した富をふんだんに使い、エゴイスチックで個人主義的で元気な成金生活を送るのではないかと思う。 申し添えておくならば、これらの人々の子供達は恐らく、殆んど全く親を省みないのではないかとも予測している。所謂団塊ジュニアの人々、つまり団塊の親たちの子供たたちは、残念ながら少し怠惰でやや物質主義的である。独身貴族とかにもなりやすいそうだ。 親子の絆も、夫婦の絆も、最も意識して大切にしている筈の団塊の人々の絆ほど、脆く危うい気がしている。 何故ならば、幼い時からの激し競争と物質主義的価値観に毒されて、絆の意味が、時空を越えた純粋に精神的で霊的なものであることに、最も気づいていない人々のように思えるからだ。 スミマセン。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |