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■ エロ医者事始 | 2008. 2.29 |
最近、中傷メールがあって、その内容はともかく、私のことを「エロ医者」と表現してあったので、この指摘については、殆んどマチガッテはいないので、「そんなにホメないで」と言いたくなって筆を走らせている。 そもそも「エロい」とは悪いことなのであろうか。 よく性犯罪などのドキュメントや実話記事などを読んでみると、チットもエロくないことに気づく。 全く想像力がなく、美しくもないので、逆に白けてしまう程だ。 モチロン、世の中には、危険な変態、限りなく犯罪に近い、性的嗜好というのが色々あって、例えば、同性が好きというのは今や何の違和感もなく受け入れられることだが、子供が好きとか、人が苦しむのが好きとか、果ては死体が好きという風に、人に危害を加えて、性の喜びを得るという傾向の人は、社会にとっても、本人にとっても、困った事態と言えよう。 本来「エロス」というのは、美への愛なのだ。 ひと目ぼれの愛のことだ。 私の場合、「美への愛」と言えば、マチガイナク強烈にあると言って良い。ごく幼い頃、つまり幼児期より「大人の雑誌」などを見て、女性の美を楽しんでいたし、エロ本やエロビデオの類は結構好きでいっぱい集めていた。この世界の最高の美の持ち主である「女性」そのものよりも、その表現する美が好きなのではないかと思える程だ。 最近は、インターネットの普及で、エロ本やエロ雑誌が昔にくらべ不作である。有名な出版社も最近倒産した。どんどんエロスの傾向も変化してきて、近頃はチットもそれらの美しいモノには出会わない。自らのエロスの減退、性欲精力の後退かもと思えるくらいだ。 昔からある芸術写真やミロのヴィーナスの方が余程コーフンしたりする。 アメリカの戦争映画かなんかで、兵隊さんが、女性の半裸のピンナップを、自分のヒコーキや、軍艦の自室や、キャンプのロッカーに貼り付けてあるのをよく見るが、それらの方が最近のあまりにあからさまでドキツイものより何となくロマンチックでコーフンしそうだ。 話が飛んでしまいましたが、「エロい」為にはまず、健康でなければならない。食欲とか睡眠欲とかその他の欲求が満たされていなければならない。 心が適度にリラックスして、情緒が安定していなければならない。つまり、心身共にかなり健康である必要がある。 こういうワケで「エロ医者」と言われても、チットも腹が立たないどころか、健康で成熟した大人の男であることを、認めてもらったようで、正直少し嬉しい気がするくらいであるのだ。 追記【1】 ローマ帝国のユリウス・カエサル。即ちジュリアス・シーザーは、ローマ中の女性と関係を持ったというくらい、それが「好き」であったそうだ。 「英雄色を好む」とはよく言ったものだ。残念ながら多数の女性と関係したいという欲求は殆んどないから、私は多分英雄ではないのであろう。 追記【2】 心理学者の松井豊によれば、現代青年の恋愛では ・マニア(狂気的な愛)嫉妬深い愛 ・アガペ(愛他的な愛)愛する人の為なら身を捧げてもという愛 ・エロス(美への愛)、ひと目ぼれの愛 の3つが中心だそうだ。 その他の愛によれば ・ルダス(遊びの愛)恋愛をゲームのように楽しみたい ・プラグマ(実利的な愛)相手を選ぶときは、趣味や家柄で決める ・ストーゲイ(友愛的な愛)異性との愛はじっくり育てたい こうして見ると、「エロい」というのは決して悪い意味などなく、平和でおだやかで、のどかなものであるような気がする。多少ロマンティックでもある。 ありがとうございました。 追記【3】 南 博(故人)という心理学の先生によらば、セックスにタブーというのは無く、生命の危険が無ければ何でもOKだそうである。 象とかのSEXは踏みつぶされないよう。 虎とかライオンが相手の場合、食べられないようにと注意しておられた。 追記【4】 昨年、Uという有名な経済学者が、女の子のスカートの中を、鏡を使って覗いたとして捕まったが、このような人を「エロい」人と仮定すれば、それは「我慢できない男」をエロいというのかも知れない。 電車の中で、女の人にカラダに触れたいとか、スカートの中を覗きたいとか、女の人の裸を見たいとかの衝動は、殆んどの健康な男性ならば持っているのではないだろうか。 ただ、多くの「一般人」は我慢をしている。また、我慢しなければならない。 私の場合、夜の店などに行っても、そういう行為は一切しない。 何故ならば、とてもカッコ悪ような気がするからだ。自分なりの美学があって、それは、男はパブリックな場所では必ず紳士でなければならないというものだ。瘦せ我慢かもしれませんけど・・・。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |