コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 言葉のチカラ2008. 2.28

このコラムは、いつも就寝前に深夜書いているが、その日最も印象深かったテーマで思いつくままに綴っている。

重要書類というのがあって、その文面や文言というのには、重大な意義や意味があり、一言一句、間違えるワケにはいかないということを改めて知った。

カルテ(診療録)というのも、或る意味で重要書類だ。普段はメモ風に気軽に書いてしまっているが、医療事故や事件やトラブルでもあれば、一瞬にして重要書類になる。もともと公文書であるそうな。
今や、電子カルテなどというものが出現していて、尚更不気味であるが、安易に導入した医療関係者に、果たして、その意味を本当に理解しているのであろうか。
文字、文言というものは、いったんデジタルになると、ゴマカシがきかない。
別にゴマカソウと思っているワケではないが、人間の心や肉体の状態を、画像や写真ならまだしも、文字や言葉で正確に表現し、記録することができるのであろうか。

いつもこの議論になると「持論」が出てくるが、物事の現象や状態や感覚や、モロモロの謂わゆる実態というものは、言葉で表現されると、どうしても嘘っぽくなる。
特に裁判記録とか、警察の調書とかは、そういう感じになると思うし、当事者もそのあたりは分かっている筈であるが、マスコミも一緒になって、その嘘の上塗りに加担する。そんな風に思える。
そういうワケで、弁護士とか役所とか警察とか病院というような、公的な色合いの濃い組織に限らず、大きな企業とか、団体とかの組織体や国家においては、文章やスピーチの文言というものの作成には、はなはだしい神経を使い、慎重に行われる。

「小説吉田学校」という映画の中では、森繁久弥 扮する時の宰相、吉田茂が、アメリカとの交渉において話すスピーチの原稿の草稿を、外務官僚に書かせ、何回も何回も書き直させ、時には怒ってその徹夜で苦労して書き上げた原稿を、書いた本人に投げつけるシーンがあったが、それ程、言葉というものが身分が高くなるにつれて重要になってくるようだ。

多少品のないマスコミでなくても、人の言葉の端をとって上げ足を取る等、本当は誰にでもできる簡単なことなのだけれど、そういう人物を偉いと勘違いしてしまうことも多々見られる。
本当は、スピーチでも、契約でも、何らかのステートメントでも、言葉を作っていく方がはるかに大変な作業なのである。
批判や批難など誰にでもできるのだ。

昔、医師会の理事をしていたが、会議をひっくり返す術というのがあって、これは意外にカンタンである。
会議のメンバーの話をひととおり、慎重に聞いていると、必ずいくらかの矛盾や、言い間違いがでてくるので、それをメモしておき、激しくなくても、静かに声高に、断定的に最後に発言すれば良い。

この時に「声が大きい」というのが結構重要で、皆を圧倒する力が予想以上にある。

「あんたは声がデカいから負けてしまうなあ」と言った会の理事メンバーがいたが、見抜かれたかなあと思ったが、ただの感想であった。
こういうことも、実は本に書いてある。

ただこういう手法も海千山千の会議の手練者には通用しないこともある。
しかし、根回しも充分で、綿密に練りまくった会議の対策「脚本」があっても、このような気合のこもった大声には、負けてしまうことも多い。
株主総会における「総会屋」の存在が、企業にとって軽視できないのは、このあたりの感覚ではなかろうかと思う。

また、小さな組織であれ、大きな組織であれ、もっともらし中傷や嘘をボソボソ呟く人がいるが、このような人物は極めて大きい悪影響を組織にもたらすことがある。
このような輩は、決して軽く見て侮ってはイケナイそうだ。
患者さんの中には、家人の暴言悪言で、頭痛や吐き気がしたり、下痢をしたり、腹痛がしたり、声が出なくなったりする人がいるが、このようなケースは最近増えてきている。

テレビなんかの討論会でも、汚い言葉で荒っぽい言葉の応酬はざらで、時に子供の間で日常的に使われている「ウザイ」とか「クサイ」とか「死ね」「キタナイ」など、或る意味、想像を超えた悪言も見られ、暗澹とした気分にさせられる。

その人の持っている言葉は、「人格」そのものである。
「愛」とか「感謝」とか「ゆるし」とか「誠実」とか、この世界で使われる善き言葉は、何回も述べてきたことだが、自他を幸福と健康と豊かさへ導き、時にはその相貌や肉体を美しくする。

ありがとうございました。

追記【1】
嘘つきの人の特徴を述べたい。それは話すときに口が歪む。
奇妙に下唇が左右どちらかに偏って開かれる。
悪口を良く言う人も同じだが、主に上唇に変化が現れる。観察されたら面白い。
どちらにしても、あまり美しくない。
正直な人は、表情のバランスが美しい。左右義がない。

追記【2】
言葉そのものの力もとても大きいので、少なくとも善言は度々口走りたい。
例えば「ありがとう」例えば「しあわせ」例えば「良かったネ」「愛しているヨ」等々。
愛に満ちた優しい言葉は世界中を癒やす。自分自身を癒やす。

たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


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