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■ 顰蹙を買うことのすすめ | 2008. 2.13 |
表題の顰蹙(ひんしゅく)とは、眉をひそめるとかしかめ顔のことだが、日本語の表現としては 「顰蹙を買う」というように使い、主として公衆の面前や、衆人の中で品のない行動やその場にふさわしくない不作法、言動、態度、服装等、礼を失っした時に、人を表情だけでそれとなく批難する時に使われる。 心理学を主に勉強するかなり以前から、色々なビジネス書や、自己啓発書を読み湧っていくうちに「人に無理に合わせている」自分に気づき、これは、医者の仕事をしながら、相手の思惑ばかり考えて、自分の正直な欲求や感情を押し殺して、無意識に振舞っている。 このままの自分では、長生きするのは難しいと思い、考えていたのだが、表題である。 まだ20代で開業したての頃、いきなり看護婦さんの結婚式があり、スピーチをすることになり、全くしどろもどろで、何を話したか分からず、さんざんであったことがあった。 これではいかんと、かなり練習したが、いつも必ずアガッてしまい、全然ダメ。 およそ10年くらいは、公の場でのスピーチは全く不得意であったけれど、とにかく場数を増やしていくうちに、いつのまにか、殆んどストレスやら緊張を感じずに、それができるようになった。 一言で言うと、それは「厚顔無恥」になったと言えるかも知れない。 これは顰蹙と同じようにあまり良くない表現であるが、私としては、天の恵みであった。 「人は人の事など、あまり気にしていない」 これに気付いただけである。結婚式のスピーチなど、誰も聞いてはおらず、たとえ聞いていても、殆んど憶えておらず、全く忘れてしまい、せいぜいあのスピーチは良かっただの悪かっただのの印象しか残らないとすれば、これは重要な話をするスピーカーにとって有難くない事態かも知れないけれど、多くの衆人の前でスピーチをして緊張を感じる人にとっては素晴らしい暁光と思える。 ・・・と同じように、自分を大切にしない、人目を気にする、人の思惑ばかり気にする、というような「優しい人々」にお勧めするのが、表題の「顰蹙のすすめ」である。 これは、敢えて、公の場で顰蹙を買うような、例えば、大事な会議を中座するとか、結婚式の時に悪い冗談を言ってみるとか、やや、悪質であるが「ケッ、気にするもんか」「それがどうした」みたいな、度胸を養うにはもってこいだ。 個人的には、昔30代の時に厚生大臣との数人での会食の途中に中座したり、或る有名国会議員の会合にワザと遅刻したりとかしてみて、何も自分の目に見える災いや不都合の無い事を確認し、徐々に地元の名士の集まりとか、結婚式とかで、このような悪戯をするようになった。 周辺の人々には多少不快感を与えるかも知れないけれど、お陰でとても自由でのびのびした気分を味わえるようになった。 モチロン、多少の苦言や、諌言はあるものの、貴重な意見として拝聴はするが、殆んどは聞き流している。 ただし、身内の冠婚葬祭はともかく、職員の人々や、患者さんについてはこれはやはりできないでいる。 この場合だけは、顰蹙禁物と心の中で決めてはいる。 何となく、人に合わせでばかりで、ワガママの言えない人、自分を抑えてストレスのたまっている人には、手軽でカンタンでおすすめである・・・と思う。 ありがとうございました。 追記【1】 昔、フランスの名宰相と言われたブリアンという総理大臣は、或るスキャンダルで、マスコミや国民の激しい非難を浴びたが、その時に側近から、あまりに平然としているので「どうもないのですか?」という問いに対して、 「国民からどう思われても気にならない。私が国民をどう思うかしか、考えていない」・・・だそうだ。 凄いですネ。 このくらい厚顔でないと、政治家は務まらないのでしょう。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |