コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ チョコレート理論2008. 1.30

人間をチョコレートにたとえると人間関係の説明に便利だ。

昔、俵万智という歌人がいて(今でもいますネ)「チョコレート革命」なる歌集が出ていて、このチョコレートブラウンのロマンチックな本は結構売れていて、自分も買って少しく読んでみましたが、それは秘やかな、男女の哀切に満ちた恋愛関係の情感や、せつないやりとりをつづったものであった。

当時は何故チョコレートなのかワカラナカッタけれども、それは、人間のことであった・・・と今は思う。
人間の愛のことであった・・・と思う。

チョコレートは冷やすと固くなり、暖めると柔かくベトベトになり最後は溶けて液体になる。
暖かくなったチョコレートはべたべたと周囲にくっつき汚す。
丁度それは、深い依存関係におちいった人間関係に似ている。
愛の温もりでゆっくりと溶かされた、もともとは固く冷たいチョコレート(人間)のドロドロとした愛憎劇の象徴でもあるのだ。

美しい化粧箱の中のチョコレート。様々にキレイに型どられた粒よりの美しいチョコレートも、ジワーッと温められるとゆっくりと溶け出して、最終的に、茶色のひとつの液体になる。
それは遠くから見る野球場やサッカー競技場の群集のようでもあり、ひとかたまりの家族の集団のようでもあり、スポーツのチームや会社の組織のメンバーのようでもある。
人は皆、愛のエネルギーで人とつながりたいのだ。
群居衝動というらしい。そこでは人は群集となり、ベタベタとつき合い、自己と他者の境界を失い、暖かい愛の世界にいる。

第二次世界大戦勃発前のナチス党の政治支配による社会も、国民にとってはそれはそれは或る一時期とても快適であったらしい。
適当な秩序と、群拠衝動のバランスで、ナチス以前の自由放任的なワイマール政権よりもはるかに国民の支持を得ていたことはあまり知られていない。
のどかで家庭的で、集団行動が或る程、整然とした社会を形成していた。

今は、このベトベトのチョコレートで社会に出ていくことはとても危険である。
自由と、自己責任を求める社会では個人は冷えて固まったチョコレートでいなければならない。或る意味冷たい社会だ。

親子も夫婦も恋人同士の男女も実は、溶けたチョコレートでいつづけることはできない。子育てというものも、冷えたり固まったりさせて、子供を社会で通用する人間に形づくっていくと考えれば、教育とかしつけの意味も理解しやすい。

変形してネジ曲がった人間もチョコレートと同じように暖かい愛で一度は溶かしてから、少しずつ冷やして、美しい形の人間に整形していく。この繰り返しで、ひとり前の人間にしていく。
ここでお伝えしたいのは今自分が、そして自分達が、冷えて固まったチョコレートなのか、暖かく溶けた液状のチョコレートなのか自覚する、気づくことの大切さだ。
それをクールに自覚できれば、親子や男女や或る組織での自らの存在のありようを、うまく客観視し、コントロールできるかも知れない。
一般の現実社会では、人間(チョコレート)も冷えて固まっていないと、ひとり前の人間として扱ってもらえない筈だ。
ドロドロに溶けて、周囲にベタベタとひっつき、汚してしまうようなタイプの人は、最終的に排除されてしまうかも知れない。

ありがとうございました。

追記【1】
シベリアに抑留された多くの日本人は、集団で固まっていると生きのび、孤立し一人になると死んでしまうらしい。暖をとるということもあるだろうけれど、お互いにエネルギーを交換しないと生きていけないものらしい。
ついでに言えば、強力な生命力向上の方法は、何と「歌」であるそうな。
昔「ビルマの竪琴」という戦争時代を描いた名作映画があったけれど、「歌」によって敵味方を超えて、人々の心が結び合うシーンがあったが、とても感動的であった。

たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


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