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■ 考え方次第 | 2008. 1.11 |
「自分に対して嘘をついている」という自覚があって、人生は「考え方次第」と言い切れれば自由自在。遊戯三昧の日々がおくれるかも知れない。 記憶というのは、貯金のように蓄積してくものと多くの人は考えがちだが、記憶追想の度に、新しく創造されているそうな・・・。 つまり「思い出す内容」というのは、映画や小説のように正確無変化ではなく、どんどん脚色され塗り変えられているということだ。 ということは、絶対変えられない過去というものは存在せず、解釈次第でどのようにでも創り変えられる。 悲しみは過去との決別に必要な感情だそうですが、そうであれば、人生と言うのは、悲しみの連続に違いない。昨日という過去、今日という時間に、日々、刻々と別れを告げながら生きているワケですから。 忌まわしい過去であれ、黄金の日々であれ、それは必ず終わる。 終わることのない幸福もないし、不幸もない。全ては、流れる川のように終わりを告げる。 最初から悲しみこそ人生と言い切れば、すべての現象に対して、肯定的に受け取れるかも知れませんネ。 あきらめるか、挑戦しつづけるか、と問われれば、両方と答える。 物事、あきらめも肝賢だ。 あきらめながら、挑戦をやめない。 これが私のスタイルだ。 「まあいいか」と「とことんやる」 この絶妙な組み合わせで、人生の難局を乗り切って来たような気がするが。 特に他人のこと、環境のことは「まあいいか」。自らの欲求、義務感については「とことんやる」。 人生は二度とない。 今日という日は再びやって来ない。 この当たり前の事実を思う時、自然と心が隶然してくる。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |