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■ カスタニエンの樹 | 2004. 6. 8 |
雨上がりの6月。夕暮れの街は、一瞬街路に佇んでしまう程美しい。 6月は、私にとって特別な月です。特に今年は。 今月の晦日に死んだ父と同じ年齢。50歳。まったくもって実感はないけれど、やはりチト若すぎる。 祖父が死に、父が死に、祖母が死に、母方の祖父母が死に、そして今年の正月に母が死にました。このトシになると、「周りは死だらけだ。」 そうでなくても職業柄多くの人の死を看取ってきましたので、さらにその感があります。 前置きが長くなりました。本題です。 戦時中ナチスドイツの収容所で過酷な生活を生き延びた、精神科医ヴィクトール・フランクルの名著「夜と霧」からの抜粋。涙の出る一節です。 ”この若い女性は自分が近いうちに死ぬあろうことを知っていた。それにもかかわらず、彼女は快活であった。「私をこんなひどい遭わしてくれた運命に、今は感謝していますわ。」と言葉どおりに私に言った。「何故かと言いますと、以前の優雅な生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの。」 最後の日に、彼女は全く内面の世界へと向いていた。 「あそこにある樹はひとりぼっちの私のただひとつのお友達ですの。」と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。外では、1本のカスタ二エンの樹が丁度花盛りであった。・・・中略・・・ 「この樹とよくお話しますの。」 不思議に思って私は彼女訊いた。 「樹はあなたに何か返事をしましたか?・・しましたって!・・では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。 「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる。・・私は・・ここに・・いる。・・私はいるのです。私は永遠の・・いのち・・・・」” 樹々のみどりが目にまぶしい季節。5月から6月によく思い起こす一節です。 読んでいただいてありがとうございました。 濱田朋久 拝 |