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■ 人間関係の極意 | 2008. 1. 6 |
人から「こう言われた」「ああ言われた」。果ては「傷ついた」「傷つけられた」という方が結構多いが、これは論理的に大きなマチガイを犯している。 「他人の言葉で心が傷つく」というのは、一般の社会ではひとつの常識として存在しているようであるが、果たして、真理であろうか? 検証してみたい。 「傷つく人」の大きなマチガイは 「人の言葉」と「自分の存在」を自動的に無意識的に反射的に結びつけてしまうところにある。 つまり、「お前はバカだ」と言われて、言われた人が「バカになる」ワケではないことに気づかなければならない。 「山田さん」という人に「お前は田中だろう」と言われて、田中さんにはなれないだろう。 この事実はすべからく応用できる。 「お前アホか」と言われても、「スミマセン」と平然と返すことができる。 全く傷つかずにだ。 このような人は、精神的にとても自由だ。 相手や他人の反応を気にせずに、会話をすることができる上に、いつも淡々平然、泰然自若としていられる。 このような心の状態は、どういう考え方、感じ方から生じるかというと、 「絶対的自己肯定」という一言に尽きる。 つまり、「ありのままの自分で、全部OKですヨ。」という感覚だ。 もっと言えば「自分が大好き」という感じ。 人間は成長の段階で、親や養育者、教育者、属している組織や社会で、必ず或る一定の評価を受ける。 ABCDE 54321 松竹梅 上中下 あらゆるステージで「比べられる」 これはある意味、仕方のないことであるし、必要でもある。 この「評価」や「比較」を超越した、何か理由の要らない、理屈のない自己肯定感覚を持たなければ生きるのはとても辛く苦しいものになる。 この人間関係における他者の評価という「息苦しさ」を克服するのに最も簡単な手法が瞑想であり座禅であり、何かしらの心の修養だ。心のセミナーなどは常にこの為にあるような気がする。 他者や自分からの「比較」や「評価」からの自由を得ることが出来れば、人生は悠々自適、淡々飄々としてくる。 マチガイナイ。 追記【1】 このような境地に達した人物を上げるならば、すぐに思い浮かぶのが、勝海舟である。 子母澤 寛という作家の小説「勝海舟」では、父親との関係性が「親子鷹」として、よくテレビドラマにもなったが、博徒のような、地回りのような、無頼ながら人情味豊かなの父、勝小吉の愛情深く厳しい教育で育てられ、剣道や禅を通じて身につけた、「胆のすわった心の境地」が、一国を動かすような、自由で度胸のある活躍を生み出すことになる。 追記【2】 裸芸人というのがTVで出てるらしいが、「そんなのカンケーネー」 関係の無いことは絶対無いが、「人間同士の関係性」をもう一度よく深考、吟味、整理してみるのも良い試みではないかと思う。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |