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■ 精神鑑定 | 2007.12.26 |
犯罪者の責任能力を問う時に、行われる。 複数の医師や専門家で行われるが、判定はバラつくそうだ。重大犯罪の場合、概ね「責任能力」ありと認定される。多分、国家や社会にとってその方が好都合だからだろう。 ところが、実際は、責任能力云々よりも、コトはそれ以前の問題ではないかと思える。 異常で重大な犯罪者の場合、殆んど特定できない、多彩な、非定型的な精神的異常が認められ、脳波やその他の検査で、脳の器質的変化を思わせる機能不全が、50%以上の確率で見出されるそうだ。 50%というのは物凄く高い率だ。 正常人の場合、2〜3%以下だから、相当のひらきだ。 要するに何が言いたいかというと、社会的な大問題になるような異常な重大犯罪の加害者は、半分以上は、精神異常か、人格異常の持ち主であるが、当局も責任能力無しと認定する訳にもいかず、謂わゆる「正常人の異常な犯罪」として裁かれるが、それだと全く社会の進化発展に寄与しないと思える・・・ということを伝えたいのだ。 何故ならば、社会的にも、そのような犯罪は、多くの人々にとって、好奇心はそそられるけれども、決して望ましいものではないから、本来は真っ先に優先すべきは「治療」ではないかと思うのだ。 自分が医者であるからかも知れないが・・・。 犯罪者本人も、犯罪の被害者も、本当には苦しんでいるのだから・・・。 「犯罪精神医学」福島 章著を読んで、新潮45というオドロオドロシイ猟奇犯罪の連載を読んで得た、私なりの結論だ。 加害者を死刑にしても、真の意味では何の解決にもならない。 死刑は、極刑かどうか、加害者にとって不明である上に、本人が自殺願望でもあれば、「凝らしめる」「見せしめにする」意味も無く、只、法律の執行という形式があるだけだから・・・。 みんな自己満足としか思えない。 警察も、検察も、司法も、マスコミも、一般大衆ですらも・・・。 追記【1】 司法の場では、精神鑑定に限らず、アメリカでもそうだが、医者は信用されていないと感じる。 確かに犯罪者の精神鑑定の結果は、裁く側や世間に好印象を持たれるように作用するのは理解できるが、個人や社会の平和と幸福を追求するのが、全ての人々の共通の目的とするなら、精神鑑定のデータは保存され、活用され、公表され、悲惨な犯罪の抑止、防止に役立てられてしかるべきだと思う。 追記【2】 臨床の場では、この人ヤバイなあと思う人々が結構いて、やっとのことで抑制しているというケースが少なくない。 このような人々は、「一歩」踏みはずす前に、医療治療で、ひきとどめられるとい気がしている。 社会がこのまま破壊的な方向に進んでいけば、このような苦悩する人々は、正常者の限界に踏みとどまるのを諦めて、異常者への一歩を踏み出して、引き返すことができなくなるかも知れないという気がする。 そう考えると、自殺者3万人という社会はやはり不気味だ。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |