コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

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■ 凶悪犯罪と愛の物語2007.12.19

驚くべきことに、どんな兇悪な犯罪事件にも「愛の物語」と呼ぶべき背景が存在する。
・・・と言うような伝説が立てられたことにも、多くの人には俄かには信じられないと思うけれども、「愛」と言うのはやはりあらゆる人間にとって、人生の大問題なのだ。

ひとつのケーススタディーとして、大阪で起こった例の小学生大量殺人事件の犯人Tにおける、生育暦と、数々の悪辣な行状、事件後の全く反省も、悔悛の情も見せない。
およそ「人間」とも思えないふてぶてしい態度と「身勝手」としか言えない言動や理屈を聞き及んで、このTという男にだけは、そのような「愛の物語」など絶対に無いだろうと思いきや、何とやはり大きな殺人の動機として「ソレ」はあったのである。

謂わゆる殺人鬼と呼ばれる人々の多くは「情性欠如」とか「人格異常」とか「サイコパス」というパーソナリティーに分類される。

つまり「カワイソウ」とか思わない人々である。
だから、弱者に対して、平然と残虐な行為をすることができる。
幼児期や少年期には、その発芽として「動物虐待」は殆んどの例で認められる。

遺伝体質や生育環境に基づくものが殆んどであるけれども、そこには全く同情の余地の無いケースもあり、ただの「精神病」とかたづけても良いかも知れないけれど、先述した仮説である「愛の物語」が認められたのでここに記したい。
件のTという男には、計4回の婚姻暦、養子縁組暦があり、運命の女性としてC子さんという3番目の妻への恋着愛着の破綻とそれによる絶望から、自らの人生への情熱を全て失い、虚無虚脱、脱けガラの人間になってしまったのだ。
もともと、そのような精神的苦悩は、幼少期から持ちつづけていたのであるが、誰もそれを認めず、治療もされず、結果的には放置されたままだったのである。

だからこの男に同情しましょうということを述べようとしているワケではない。
どちらかというとその逆で、何故このようなタイプの人間が、社会に放置、無処理、無治療で野放しになっているかについて、少々怒りを感じるのである。

重大な犯罪者の目は「死んでいる」そうだ。
「死んだ目」の人間には用心しなければならない。
まさしく、その人物には既に「人間」としては死んでいるのであろう。
そのような「人間でない」「死んだ」存在が社会でどんな振る舞いをするか、容易に想像できる筈だ。

先日、或る依存性の医薬品の使用と許可を受ける為のセミナー講習会に出かけた時に感じたことであるが、「第三者機関」という中立の立場となっている、委員のメンバーの評価、許可を受けないと、その薬物を使用できる医師になれないとのことで慌てて参加ワケであるが、何となく釈然としない。

それは、一言で言うなら、厚生労働省は、医者や薬剤師を信用せず、自分達が造らせた「第三者機関」なるものに形として中立に見せかけ、薬物の使用に制限をしようということらしいが
私の考えでは、そんなことより、つまり、医者、薬剤師を信用しないで薬物乱用を防ごうとするより、この薬物の対象疾患となっているADHD(注意欠陥多動性障害)、LD(学習障害)は、より積極的に治療した方が、それを制限するよりはるかに良いのではないかと思うのだ。
何故なら、このADHA、LD等、一連の代表的発達障害の子供は動物虐待の子供と多く重なり、将来、反社会的行動や犯罪者になりやすいという事実があるからだ。ただそいう人々が普通の人より犯罪者が多いという事実はない。
そしてまた、麻薬、覚せい剤、アルコール等と同じく、精神毒性、神経毒性も高く、危険な薬物であるので精神異常を来たしやすく、犯罪のひきがねになり得るけれども、もとをたどればこれらは多く、裏社会やそれに付随したネット販売で流通する裏社会ビジネスの問題があるのだ。

医療と、裏社会
薬物乱用と治療
くれぐれも当局には混同して欲しくないものだ。

いつも何度も繰り返して述べているけれど、本当に国民や国家や社会の為に役に立つことを行政はやっているのであろうか。
何となくトンチンカンな感じ、的ハズレの感じ、違和感がする。

ありがとうございました。

たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


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