[戻る] |
■ マイライフアズアドッグ | 2007.12.16 |
確か、スウェーデンの映画だったと思う。 父親が行方知らずで、母親にも去られ、親戚にあずけられるカワイソウな少年の物語であるが、自らの境遇を、ソ連の宇宙ロケットに乗せられたライカ犬よりもマシだ。と慰めて何となく逞しく生きていく姿を描いている。 端(はた)から見て悩ましい境遇の人々は、案外こんな風に考えて、心理的に自らを慰め、癒しているのであろうか。 これは、私はよくやる心理的テクニックだ。 「〜よりマシだ。」みたいナ・・・。 例えば、ナチスの強制収容所、死刑囚、ガンの末期患者、頸椎損傷による四肢麻痺、沈没寸前の潜水艦、残酷な逮捕拷問、ハイジャックされた飛行機、戦時中の特攻隊、砂漠の中の孤立、海難事故による漂流、etc... 列挙すればキリが無いくらいある「極限状態」と我が身の平穏安逸をひきくらべると、多種多様の怒りや、不平不満がいっぺんになくなる。 先述した、不遇な少年はとても賢いのだ。 「無事これ貴人」とも言う。 無事とは、何事も無いということだ。 何事もないと、退屈だが、退屈を楽しめなければ、平和とか平穏とか幸福感とか一生味わえないかも知れない。 現代人の生活は、多くの刺激にさらされているが、殆んどの人々にとっては、地味で、平凡で、退屈な、日常生活の繰り返しなのではないだろうか。 そこに降って湧いたような、幸運に恵まれるのは普通マレで、時々、数々の厄災が見舞う。 それらは、突発的事故であり、病気であり、ケガであり、身内の不幸であり、経済的な困窮であり、失業であり、失恋であり、離婚であり、これまた数え上げたらキリがない。 森信三先生(修身教授録の著者で教育者)の言によれば、「人間はいつも危機に備えヨ」だそうな。 90才台半ばまで元気にカクシャクと生きた、覚者、至人の言葉として、「酔生夢死」に生きる私には重い。 いつも危機など、人間はいつ、先程上げたさまざまの厄災に見舞われないとも限らない、弱い弱い存在なのだ。 少々の健康管理や、保険や、予防策など吹き飛ばしてしまう。 職業柄、それらの不幸の突発を数多く見てきた。メディアや雑誌や、多くの歴史を読めば、数限りなく出てくる。 今の日本人は、個人としては、やはり平和になれきっている。 外国に行くと、特にヨーロッパやアメリカに行くと、韓国人の男性が女性にモテるらしい。 かの国には、徴兵制があり、隣国、北朝鮮の脅威にさらされ、いつも危機意識にさらされている。 軍隊経験の為か、姿勢も良く、銃器の扱いに長じ、危機的状況に耐えうる教練を受け、服装も日本人の若い男性に比べ、遊惰に流れず、何となくキリっとしている。 今時は、韓流ドラマというのが流行しているが、男女共、少なくとも、映画やドラマを見ると美しくカッコイイ。 日本人頑張れ! ただし、日本人も、特攻隊員だった人の顔や表情を見ると、清々しく、美しい。 覚悟し、覚悟しきった人間の顔はいつも美しい。 「極限状態」に仮想的に身を置くのも自らの平安に感謝する為、少々のことにはたじろがない、怖気づかない度胸を養うのに有効かも知れない。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |