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■ 人生相談 | 2007.12.16 |
・・・の答えは、最終的には自分で見つけなければならない。・・・けれども、人生経験の豊富な、知識人で、とても苦労された方々の答えもまた示唆に富み、ヒントが多いのは確かだ。 こういう場合、質問者の分析というのが一番大事になると思う。先述したように、少なくとも9種類の捉え方、人生観や価値観があるとすれば、おのずと答えもかなり多様になり、相談する側の満足や方向性の決定には、あくまで参考にしかならない・・・と思う。 ただ、言葉というものには、やはり大きな力があり、人生に原理原則みたいなものがあるとすれば、先賢の言葉は、大いなる力を与えてくれる。 特に、古今の哲学書や、古典、宗教書には、素晴らしい言葉が無限に散りばめられていると同時に、志志決定については「これしかない」みたいな納得性はとても深い。 いい忘れたが、「悩み」の本質というのは、「迷い」だ。つまり決定がないのだ。行動できない状態だ。 これらは、物事の解釈の選択肢の少ない人に多い。このことはとても逆説的だ。 選択肢が多い程、実は迷いそうだが、ある種、膨大な選択肢というのは、非常に洗練され研ぎ澄まされた最良の「意思決定」を生むと思える。 これは、医者の診断技術ともかなり似通っていて、新米の医者は、本を引きながら、パソコンを見ながらかなり「考えて」答えを出すが、ベテランの優秀な医者というのは、その膨大な知識と経験から、逆にある種直感的に、素早くひとつの最良の診断を下す。 もっと具体的には、「アミダくじ」のように思考を進めるのではなく、目的のモノを一瞬に取り上げる「カルタ」に似ている。 「悩み」を抱えた人々の特徴として、まず、上記したように 1)選択肢の少なさ があるようだ。最近は特に現代人の生か死か。AかBか。結婚か離婚か。など二者択一的な思考の危険性も指摘されているが、先の総理大臣だった小泉さんなんかは、これが目立った。 謂わく 「改革なしに、成長なし」 「郵政民営化は断行しなければ、私の政治生命云々」 など、深い議論も、思考もなく、非常に浅薄であるばかりか、実のところ、殆んど説得力のないものだった。 2)悩みの選択というのは一種の思考停止であるから、このような二者択一的意思決定は、とても心理的に多くの人にとって楽なのであろう。 昔あったAランチ、Bランチみたいな、そして今もある和朝食、洋朝食みたいな・・・。 3)すべての悩みの解決法というのは、理論的にはある。それは「考えないこと」。 瞑想による謂わば無思考だ。 これは、経験、体験しなければわからないが、とても気持ち良い。 すべての事柄を思い切って宙吊りにして、意思決定をしないという決定をするのだ。 「逃げる」というのにも似ている。 「逃げるな」という人がいるが、「逃げてどこが悪い」と反論することもできる。 凶悪な人物か、暴走車や津波が来たら逃げるのが当然と思える。こういう事態でも「逃げるな」というのは恐らく愚かな人間だ。 「悩み」というのは「思考の出入」なのだ。 だから、思考を止めれば、悩みはないのと同じだ。 実はこのアイデアも、バーノン・ハワードという人の著書「スーパーマインド」という本からのアイデアである。 「思考を使って、思考をやっつける」 私は多くの悩ましい事態を多くの書物から得て来た。人生の大きな岐路に立った時、人に相談したことはあまりない。 大概、相談相手は本であった。 特に中国の古典が最も役に立った。 私の好きなのは、老荘思想だ。 老子、荘子。道家とも呼ぶ。 とても精神的に楽になると同時に、「生き方」の参考になった。 ありがとうございました。 追記【1】 易学というのは、意思決定には便利だ。 占いというとバカにする人もいるが、占いの深さを知らない人だ。 スピードも早いし、物事が単純になる。 例えば家相の決定。 南向きに立て、玄関は東南の角。あまり凸凹のない家となったら家造りなど自然に決まってくる。 結果として、家造りに悩まない。 追記【2】 うつ病になる人には、誤認知が多いとされる。認知のエラーだ。 認知行動療法というのが心理療法であるが、認知の仕方として、やや二者択一的に悩まれる方が多い。 「思考のジャングル」から逃げられないのだ。 思考を一遍に吹き飛ばしてしまえば良いのだ。 追記【3】 超一流のスポーツ選手を観察すると、休憩時間に特徴があるらしい。 「気分転換」「気持ちの切り替え」がとても早いらしい。 それは、「リラックス」から得られる。「力を抜く」ことの大切さは、スポーツをしない人には分からないかも知れない。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |