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■ 学問のすすめ | 2007.12.10 |
言わずと知れた、慶応大学の創始者で、今や何故か一万円札の「顔」になっている、福沢諭吉の著書だ。 最近は慶応大学が、東京大学を抑えて、我が国ではトップの評価らしい。財政界、マスコミ、医療、法曹と社会の指導席に最も多く分布し、活躍している。 「痩せ我慢の論」を書いて、勝海舟の変節ぶりを批判していたが、海舟の一行の反論がふるっている。 「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候」 海舟の自己肯定感の高さをうかがわせる。 表題の「学問のすすめ」であるが、冒頭の文言は、多くの人が記憶している。 「天は人の下に人をつくらず、人の上にも人をつくらず 云々・・・」 要するに、人間というのは、皆、平等ですヨ。ということだ。 この後を憶えてる人は意外に少ない。 どういうことが書いてあるかというと 「・・・けれども世の中には、貧しい人もいるし、富める人もいる。愚かな人もいる。賢い人もいる。偉くなって人々から讃えられる人もいる」 この差は一体何ですか? 答えて、それは「学問のあるかないかではないか」と訴えている。 つまり、学問をしなさいヨ。即ち「学問のすすめ」である。 先日、教育関係の人々との会合があって、経済力と学力は比例すると、或る先生が述べておられたが、もっともであろう。 繰り返し、述べてきたことだが、世界中見回してみても、その国の経済力は、教育水準と殆んど一致する。 先日、NHKの調査で、日本人の子供の学力の水準は、各科全てにおいて下がって来ているらしいことが報告された。 教育というのは、謂わば国家と国民の義務である「日本国憲法」にも謳ってある。 そして、教育という名のサービスである。 人が人に行うものである。 教育の質を高める為には、教師の質を高めることだ。その為にはまず、その職業に地位と権威と、相応の待遇を与えなければならない。 つまり、社会全体で、価値づけを高くしなければならない。 にもかかわらず、教師の不祥事というと、鬼の首を取ったようにマスコミが騒ぎ立てる。 警察もそうだが、教育現場でも不祥事は世界的にも稀なケースだ。日本では極めて少ないらしい。 話は飛ぶが、マスコミの報道を見ると、少年犯罪もいかにも増加しているように感じておられる人が多いと思うが、実際は減少している。 総じて、日本人の子供は大人しいのだ。 マスコミというのは、猟奇とか、変奇とか、変わったことに喜んで(チョット言いすぎ!スミマセン)飛びつく。何故ならTVなら、視聴率、新聞ならそのほうが購買数が増える。 当たり前で、しあわせで、美しいことはあまり報道されない。 TVとか、新聞とか、あまり見ないで、みんな、勉強をしましょう。学問をしましょう。読書をしましょう。 世の中が少しは明るくなるかも知れません。 防衛省の官僚の夫婦ゴルフ旅行とか、万能細胞とか、どちらにしても、私達一般国民には、早々には殆んど関係ないのですから。 それより、天気予報、地震予報、天災予報とか助け合い運動推進とか方が、はるかに重要だと思う。 しかし、そういうのって報道せんだろうなあ。 誰も見なくなるもの・・・。 いずれにしても、TVの力は大きいですネ。 私達の大切な人生の時間を1日平均1時間半、子供に至っては2時間半も奪っていくのですから。 ながらTVも良くないそうです。 洗脳されますから・・・。 人間ですから、みんな洗脳されます。 自分のアタマで考え、自分の意思で行動し、自分の本当の感情を知る為には、かなりの工夫がいるものなのです。 私の場合、朝の体操、運動、瞑想の習慣と同様に、TVを「見ない」という習慣を持っているので、時間をかなり意識して使っている。 その滅多に見ないTVを、時々、車の中でいくらかの番組を見ると感覚的にはスポーツ以外は「キモチワルイ」と感じる。 この感覚は吉か凶かわかりませんけど・・・。 ありがとうございました。 追記【1】 藤原正彦氏の「国家の品格」の著者も言っておられたが、学問というもの、教養主義というものへの軽視があるらしい。 Gの読でも、学問の中心はやはり「読書」だ。 「読み書きそろばん」は江戸時代の寺子屋で教えていて、ちなみに寺子屋は町人が対象であったが、主に仏教思想を教え、武士の子弟を対象とした藩士では、儒教を教えていたらしい。 儒教と言っても日本的にアレンジして、主に朱子学だったそうだ。 日本人の美意識の根底には、今でもkの仏教思想と、儒教思想が残っていて、他の国からすると品格はある方らしい。 余談なことであるが、キリスト教でもプロテスタントの人々の方が、マジメに見えるのは、神という概念がしっかりと在るからであろう。 日本もやおよろずの神、多神教、自然崇拝の神道なるものがあるが、ロジカルに見ると、やや弱い。 追記【2】 アメリカでビジネスをした経験のある日本人によると、アメリカ人の価値観は、日本人とは全くちがうらしい。 シカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンによれば、企業のたったひとつの責務は、利潤を上げることだそうだ。ナント。 一方では、今や、経済学者の巨人、ピーター・ドラッカーは、「企業の目的は、人を通じて正しいことを行うことだ・・・」と。正しいというところが、いかにもキリスト教的ですけど・・・。 少し安心しますネ。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |