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■ 椿 | 2007.12. 3 |
花びらの色がとても美しい。しっとりとしたピンク色。ピンクがかった赤。何とも言えない艶しい色だ。 早くも小さな蕾に混じって、散開している。 木洩れ陽というのだろう。その椿の木と、側に立つ落葉樹の橙色に枯れた葉陰からチラチラと、差し込んでくる冬の陽光は、手にとってもて遊びたいくらい暖かく柔かく心地良い。 診察室のデスクの上に、遊ぶ冬の光の乱舞を眺めがなら、しばし我を忘れて、椅子の背にゆったりともたれて、一瞬のくつろぎを味わった。 こんなひとときの光景は、案外、一生心に残るのではないだろうか・・・と思いつつ、心の中に大切にしまい込んだ。 物事の一瞬を捉えるのは難しい。 ささやかな会話のひととき。 一本のタバコ。 思いやりに満ちた一言。まなざし優しい声。柔かく触れる手。暖かい微笑。これらは誰でもいつでも、どこでも、与えることのできるモノだ。 窓外の椿の花びらすら、それらを静かに、確かに人間達に与えてくれているような気がする。 12月。師走。人々は忙しそうに冬の一日を行き交う。 ほんのささやかで、静かな心さえあれば、この素晴らしい一瞬を味わえるのに。 「静かな心は神の心」 心の静けさは、健康な心の特徴でもある。それは、色々な自然の変化を、ありのままに「見る」ことができる。 山も、海も、空も、大地も、星空も、雲も、花も、木々もそれらは素晴らしく美しい。しかし、私達は、都会のドマンナカで、自然に触れずに暮らしていても、人工物でない自然の素晴らしい創造物を見ることができる。 それは人間だ。 一枚の布帛よりもはかなく 一本の木立ちよりもひとりきりで 一匹の猫よりもかたくなでせつない 愛おしい人間達。 どんな人間の心にも、孤独と愛、生と死と、柔弱と強硬、さまざまな矛盾を抱えて生きている。 公と私。社会と個人。集団と個、本当には決して折り合うことはないのかも知れない。 折り合えないけれども、併存している。 人類の英知というものが、積み重ねられて今日の文明や文化が存することと同じくらいに、魂や生命の永遠性を実感できなければ、私達人間は、本当にゆったりと人生を味わい、楽しむことはできないのではないだろうか。 あくせくと生きることに夢中で、何もかも「現実」と考えている。実は霊的に見ると、全く「バーチャル」な世界に埋没しているのが人間というものかも知れない。。 最低でも、存在として、椿の花には届きたい。 その美しさとはかなさと生命力に。 ありがとうございました。 追記【1】 人間についてばかり書いて来て、人間以外から文章の切り口を開いてみたものの、やっぱり最後は人間のことになってしまった。 人間が一番面白い。 追記【2】 黒澤 明監督の椿 三十郎がリメイクされた。 原作はモノクロだ。シャープさを出したくて、椿の花は黒く塗ったそうだ。 葉は、榊だった。 まだ、リメイク版は見ていないが、恐らく原作は越えないだろうと思う。 ただし、森田芳光監督には少し期待だ。好きな監督の一人。 ちなみに同監督は「失楽園」「家族ゲーム」が有名だ。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |