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■ 家族の寿命 | 2007.11.22 |
人間に寿命があるように、家族にも寿命がある。その寿命は意外に短い。 アメリカ映画なんか見ると、「家族が一番大切」とういうセリフがよく出て来るが、これは、恐らく憧れであろう。 二親と子供数人のまともな家族というのは、アメリカでは15%しかいないそうだ。 アメリカ人のそういう言葉の割には、家族の崩壊も激しい。 もともとアメリカは宗教国家。敬虔なキリスト教国家ということになっているから、そのように言うのだろうけれど、例えばヨーロッパのフランスあたりよりマジメに見えるけれど、離婚は結構多い。 恋愛して結婚するワケだが、愛は4年で冷めると言われているので自然に恋の熱は冷め、「愛の生活」も終わるというワケだ。 夫婦喧嘩の激しいのもアメリカ人が一番らしい。女性の評価の低いのもアメリカ人だそうだ。自己主張が強く、男性も暴力的なケースも多いので、家庭内の騒動は日本より一層激しいと思われる。 愛し合った二人に子供が生まれ、形として初めて家族というものが誕生する。 幼い子供と、若い夫婦。 最も家族らしい家族。 幸福というものの典型的な形態がある。 しかし子供が成長するに従い、親子関係にさまざまな軋轢が生じる。 思春期という嵐。 20才前後の、自立欲求の嵐。 子供も親元を離れ、新しい家族をつくるという本能が、動物としての遺伝子に組み込まれているのであろう。 親と離れようとして、一生懸命もがくがあまりスムーズにいかない場合がある。 子供に依存欲求が残っている場合と、親の子への依存欲求か、支配欲求の為に自分の子供と思い通りにしようという試みや圧力の為に、子供がいつまでも家族という檻の中に閉じ込められて大人になれないのだ。 精神的には、親子の絆は永遠に切れない。いくら離れていても、死んでいてもだ。 もともと、絆というのは精神的なものだ。 お金でつながっている。共同生活でつながっている。 それらより、親子の絆は、より精神的なものだと思える。 しかし、この親子の絆は永遠だとしても、その関係性は子供の成長と共に変化していく。親も子の関係も敢えて断ち切って行かなければならないことも多い。親子の不仲も見方を変えればありがたいこともあるものだ。それが子供の自立を促進するという意味で。 とくに母親との関係は・・・。 母子密着。母子の共依存ほど家族関係で厄介なものはないと思える。 これを断ち切るのは、普通父親の役目だ。父親はより社会的な存在だ。子供を家庭から社会へと導く。 子供も孫もいる、昔の大家族というのは老者にとって、意外に孤独なものなのだ。 このことは意外に知られていない。 毎日の診療と「家族療法」という、心理治療で確認済みだ。 今は家族というものをつくらない、つくれない若者も増えた。 一番の原因は経済的理由と思えるが、 個人も社会も、この家族の誕生と盛衰と寿命とに理解が浅いことも一因と思える。物事にはすべて終わりがあるのだ。人生に死があるように。 家族の「再生産」がうまく行なわれないと社会は衰え崩壊するかも知れない。 ありがとうございました。 追記【1】 昔の三世代時には四世代の大家族主義は農業従事者には今でも結構残っている。 家内工業者にもある。 しかし、すたれてきている。原因は姑と嫁の確執というような、単純なものではない。社会全体の価値観の変容、風潮、文化の変遷も背景。豊かさの中で人々の人間関係における「忍耐力」の低下も起こっている。家族関係の維持には「忍」の一字は欠かせない。 そういう背景を考慮しても、母子密着はとても息苦しい。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |