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■ バイキング | 2007.11.16 |
自由でいる為には、常に「選択する」というストレスに耐えなければならない。 いつも、白か黒か決断を迫られると、多くの人々は逃げ出したくなる。モチロン、白黒ハッキリさせる、ハッキリするのが好きな人もたくさんいる。 例えば、1日全くフリーで、何も「するべきことがない」という場合、何も選択しないという選択をしてしまうことがよくある。 要するに、メンドウクサイのだ。 我が愛妻には、少し悪いが、結婚に至る経緯を辿ってみれば、実のところ、メンドウクサカッタのではないかと思える。 「選択の余地がない」というのは案外気楽なものなのだ。 選択肢が多いのが、サービスと思っている人々がいるが、果たしてそうだろうか。 朝食のスタイルで、一番嫌なのが、今どこのホテルでもある、バイキングというヤツだ。 朝、レストランに降りてきて、バイキングだったりすると、もう、何も食べたくなくなる。昔の救貧院なんかで、並んで配給を受けているような気になる。 どんなに美味しい店でも、並んで待ってまで食べる気にはならない。コンビニ食で充分だ。 朝は「和朝食」が一番。 昔は、日替り定食屋というのがあって、今も少しずつ復活しているが、あれはとても便利だ。 何と言っても、選ばなくて良い。並ばなくて良い。 レストランに行って、メニューがズラーッと並んでいると頭が痛くなる。ボーッとしてくる。 その上、老眼であるから目まで痛くなる。 話は変わるが、選択の基準を持っていると、楽になることが多い。 「優先順位」という高度な基準があるとさらに良い。行動が単純になり、とても便利だ。 身近な例でも、買い物も楽。ネクタイはブルーのと決めている。 昔アラン・ドロンというフランスの俳優さんは黒いネクタイしかしないとか言っていたけれど、当時も今も、日本では黒いネクタイは葬式でもないかぎり、少し気がひける。 しかし、それに倣って、紺かブルーの無地のネクタイをしている。 昔はネクタイの選択には時間がかかり、朝の貴重な時間を随分無駄にしていた。 今は、朝起きて5分ででかける自信がある。 スーツにベルトなし。半袖シャツにネクタイ。ノー下着(パンツ以外)。靴下。着てしまうのに2分。髪は手グシ。鏡はクルマのサイドウインドウ(サイドミラーでなはい)。 カジュアルは、ジーンズ1本にTシャツにGジャン。冬はコート。 話がドンドン飛びますが、クダラナイ選択肢を減らすと見つかるものがある。 それは、物の本質だ。 人間本来無一物。 仕事の目的は、社会への貢献とその見返りとしての報酬。 お金は、手段でも目的でもない。 それは結果だ。 努力して、社会に認められたという、謂わば通信簿。 お金を目的にすると、人生も虚しく、辛いものになる。 手段にすると、人を操作するか、どうでもいい享楽や、物品購入にあけくれて、人生を無駄にする可能性がある。もちろん高い志をもって社会に貢献することもできるが・・・。 とにかく、バイキングの朝食は嫌だ〜〜。 私達は、海賊でもないし、野蛮人でもない。 昔の武士か殿様のように、お膳の上に乗った決まった物を食べたい。 何しろ選択しなくて良いのがよろしい。 しかしワイフから、今日、夕食何にすると言われたら、メンドウクサイので「カレー」と言う。 子供の時から今まで、好きな料理はカレー、ソバ、みそ汁。最近は「カプリチョーザ」というパスタ屋のニンニクとトマトのパスタ。 ワンディッシュ ワンスプーン。 これシンプルでとても楽。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |