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■ 千回の壁 | 2007.11. 5 |
自慢するワケではないが、まだ、全く普及していなかった頃に、スーツの胸ポケットに入るサイズの携帯電話がつくられて、世界中、どこにいても普通に会話できるようになると予測していたが、殆んどその通りになった。17〜8年前の話である。 今や、この小さな文明の利器は日常の生活に自然に溶け込んで、何の違和感もなく、人々はこれを使っている。 あまりにも通信が安易になり過ぎて、人々は少しずつ、コミュニケーションの手続きについての煩雑さを嫌い、避けてしまい忍耐とか、我慢とかが出来なくなり、その上、本来は殆んど「理解し合えない」ことの多い、人間同士がカンタンに「理解し合える」と勘違いしているように見える。 つまり、「話せばワカル」ということもなく「話してもワカラナイ」ということもない、ファジーな状態に耐えられなくなっているのではないか。と思える。 これは子供達が簡単に「キレル」という現象にもつながっているのではないか・・・ モチロン別の原因、例えば、食事の影響がもっと強いのであるが・・・。 先年、バカ売れした、ベストセラー本、養老猛司氏の「バカの壁」というのは、このアタリにコミュニケーションのうまくいっていない側面に焦点を当て、謂わゆる「知的な人々」を瞬間的に満足させ優越意識を刺激し、読書人にとてもよく読まれた。 もともと、人間のコミュニケーション手段は言葉に頼りがちであるが、表情や態度や身ぶりや、果ては服装や、香り、音、等、普通に感覚できるものから、テレパシーや霊感など、人間の通常 認められていない感覚を越えて、「胸騒ぎ」とか「虫の知らせ」とかで表現される、時間と空間を超越して飛び交う死者や生者を問わない通信まで総動員した、極めて高度な作業、行為だとすると、とても面白い。 そもそも、本当に人間同士はお互いを分かり合えているだろうか。 しかし、世の中の指導的立場にある人々。 つまり、政治家や高級官僚や経営者は言うに及ばず、教師や医師や母親や父親などなど、どうしても大切なメッセージを伝えつづけなければならない。 これがうまくいかないと政治家は落選し、経営者は倒産の憂き目に合い、夫婦は絶えざる不和騒乱に耐えなければならず母親や父親は子供の行動異常、例えば不登校するなど、家内の混乱引き受けねばならない。 こう考えると、高級官僚や役人等を筆頭に公立学校の教師の先生方等はどうしても職業柄、少し、責任について、どうしても甘くなってしまうのではないか、とも思える。 何故ならば、コミュニケーションがうまくいかなくても結果に責任は無用で、落選も倒産もせず、とりあえず失業も減給もせずそのままでいられるから。極めて重大な仕事であるにもかかわらずにである。 こと伝えることに対する工夫、努力、忍耐について言えば、一番はやはり優れた経営者であろうと思う。 業績の良い経営者の「話」は常に面白い。言うならば、伝え方の名人である。ついでに、先述したように、1000回以上同じことを言うという忍耐と含羞の無さも持ち合わせていて頼もしい。一部の政治家などよりはるかに強い説得力を持っている。 政治家の話はやや観念的で空虚である。何だか言葉だけという感じは否めない。経営者が嘘をつくと社会から糾弾される上に会社倒産の危機を招く。 さらに経営者の場合、顧客や従業員を含め多くの人々に自分の意志や意図を伝えられなければ、その組織方向を見失ってさまよい最終的に死に絶える。これは企業の経営にかかわる人々のみならず、顧客や従業員その家族を含め、地域社会、またその企業規模によっては世界全体に重大な影響を及ぼす。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |