[戻る] |
■ ルイヴィトン | 2007.11. 3 |
東洋経済という雑誌の特集記事で、日本の医療介護福祉について扱ってあったので、思わず買って読んでしまった。 地方の医師不足、過重労働、病院経営の危機など、言うならば行政のシステムエラーの結果が出ている。 産科医、小児科医、ついでに外科医は医師も標榜科も激減しているそうだ。 興味深かったのは、「とび込み分娩」という言葉だ。 妊娠と知っていても医者にはかからず、出産予定日ギリギリで、それこそ病院に飛び込む妊婦の分娩を言うらしい。 担当の医師は、AIDSやら、B型、C型肝炎やらの確認が出来ていないので、ゴーグルやら、マスクやら、コートやら感染予防の全身防護でこの分娩に立ち会うらしい。 流産妊婦のタライ回し事件の背景にはこのような事情もあるようだ。 イヤハヤ何と・・・。 ついでに、こういうケースは医療費の未払いも多く、特にルイヴィトンというフランスの有名ブランドを持っている人にその確率が高いらしい。 自分の体験からも「さもありなん」と思ったものだ。 私の高校時代の遊び仲間で親友とも呼べるMという男の思春期以降の人生は、まことに悲惨であった。 地元でも有名な、飲食店のオーナーで、テナントビルまで所有していた家の一人息子の長男で、私の通うミッション系中高一貫校の中学からの同級で、スポーツ万能、成績もまあまあ、長身の爽やかなハンサムボーイであった。 けれども、ひょんなことから中学の2年頃に自分が養子つまり「もらい子」であることを知り、以来、余程精神的にコタえたのであろう。 糸の切れた凧のように、パッタリと学業やスポーツへの情熱を失い、まるで風に舞うひとひらの若葉のごとく、少しも地に足の着かない浮き草の人生を40代前半の晩年まで歩みつづけた。 小さなスナックをまかされたが、毎日ゴルフと、麻雀と、酒色に明け暮れ、店を潰し、関西に料理人の修業に出されてヤクザの組員にまで身を落とし、地元に帰ってからも、友人達からの借金で生きのび、義理の父親と母親が他界すると、その日暮らしの「日雇い」の労働者として毎日を生き、この頃はワリに平穏であったが、アルコール過飲による肝硬変を患ってからは仕事も出来ず私の医院に転がり込んで、治療費は未払いのまま、生活保護を受ける身となり、タバコを吸い過ぎた為か、30代で喉頭癌で声を失い、果ては悪性のリンパ腫までなった。まさに、病気のオンパレード。 中学時代を頂点とした一度も登ることのない「転落の人生」そのものであった。 我が友ながら、哀れそのもので、末期の頃に私に50万円の最後の借金をして、地元の総合病院で寂しく人生の幕を閉じた。享年不詳。確か40才そこそこであったと思う。 通夜の晩に小さな葬儀屋の別室に案内されると、身内か友人か、3人程の男女が、部屋の片隅に無表情のまま、挨拶もせずひっそりと固まって座っていた。 その脇には、大小さまざまながら、見事におそろいの例のLとVと星型の同じデザインの茶色のバッグが固まって置いてあり、その日以来、このブランドのバッグを見ると、この気の毒な友を思い出し、いつも暗鬱な気分にさせられ、少しく嫌悪の情を憶える。 海外旅行や国内の空港や駅で、日常的に見かけるこのバッグだけは持ちたくないなあ・・・と今でも思う。 持っておられる方には、ゴメンナサイです。 追記【1】 この友人は病院食の野菜や味噌汁は一度も口にせず、毎日のように近所のラーメン屋から出前を取って食べていた。 飲食の粗雑な人は、人生も乱雑だ。 追記【2】 自己破壊的な人生に共通するのはギャンブルや色欲より酒食だ。 何故なら、色欲の満足には、ほぼ完全に近い健康な肉体を要するから・・・。 少なくとも、健康には注意をはらうようだ。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |