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■ 同級会 | 2007.11. 2 |
診察室の横のボードに、大学の同級会(同窓会ではない)の集合写真を貼っている。一部の有志の卒業生の呼びかけで、去年20数年ぶりに開催された。 懐かしい顔が並ぶ。みんなそれぞれにとても世話になった。 楽しい思い出と同時に、勉強を教えてもらったのが一番だ。医学部の試験は入学してからも結構大変だ。脱落者も多い。留年経験者は半数近くにのぼる。 厳しい軍隊訓練と同じく、同輩助け合いながら進級していく。勿論、自力で卒業できる秀才も多い。アタマが良く、勉強のできる学生は必ずいるものだ。 先日、同窓会が近県であり、教授も参加していたので参加したところ、同級生(一期入学で同年)の一人に久々の25年ぶりに会った。全く面影に変わりがない。それはお互いに認め合ったところだが・・・。 この同級生は優秀な学生であったから、マイペースで黙々と一人で自力で卒業できたと思いきや、やはり、何人かの友人の名を挙げて、彼らの存在がなければ、卒業できなかったと「告白」した。 そういうものだろう。 私の場合、世話になった、助けてもらった同級生を挙げれば、数えきれない程多くいる。 同級会の写真の顔の一人一人にちがった御礼が言える。 そのくらい友人達に世話になった。 だから、診察室に貼って自らを元気づけている。 いつものように「感謝の心」という暖かい感情が胸に湧き起こり、仕事が楽しくなるからだ。 「みんな、ありがとう」。 感謝。 追記【1】 高校の同級生には、悲劇的な物語を持つ親友がいる。 この物語は次回に譲りたいが、サワリだけ書くと「不勉強」とい言葉に尽きる。 とても優秀な頭脳と、運動神経と、素敵な体格と、優しい心を持った男であったが、或る出来事をキッカケに全く学ぶことを止め、真っ逆さまに悲劇の滝壺に落ちて行った。 追記【2】 大学の同級生のこれまたとてもアタマの良い、勉強のできた女子学生の何人かは「おいしいものを食べて」「好きな服を好きなだけ買って」「お金があったら最高ヨネ〜」と、いつも言っていたが、残念ながら今般少なくとも、私から見るとあまりハッピーそうには見えない。 余計なお世話かも知れないけれど、そういう思想には「幸福」というものの必要要件が入っていないような気がする。 追記【3】 「学びつづける」ということの大切さは今、ひしひしと感じている。人生での大きなイベントの度に、最終的決断の背景には多彩で自由でポジティブな選択肢があったけれど、それらは皆、友人達の教えと同時に、本や雑誌や映画などで自ら学びとったものが多い。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |