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■ 車輪の上 | 2007.10.20 |
いつからこんなに「忙しく」なったのであろうか。 右手にだけ手袋をはめ、携帯電話をジーンズのウエストにハサミ込み、底の薄いスニーカーに履き替え、愛車のコクピットに身体を滑り込ませた。(このあたりの表現は、1970年代のモノですネ) スピードをいつもより少しだけ出して、夜の山道を駆け上る国産のスポーツカーのハンドルを操りながら考えた。 誰も自分のことを知らず、恋人も家族もなく、友人さえいなかった20代後半の新米の医者であった時代が近頃は当時の音楽と、一人でのドライブ感覚と共に、心地良く思い出され、現在の入り組んで迷路のようになった仕事と、色とりどりの大小の糸が絡み合い、どうにもほどけそうもない人間関係とに苦しめられている50代半ばの現在の自分との落差を埋めようと、夕食の後、2時間ばかりの運転で辿り着く筈の夜の海へのドライブに、フッと思い立って出発した。 月光に映える静かな海原と微かにゆるやかな曲線を描きながらピンと直線に走る水平線と、秋のおぼろな星空と、規則的に打ち寄せる波音を聞いて、タバコを吸いながらコーラを飲むつもりであったが・・・。 悲しいかな、途中のコンビニで缶コーヒーとアンパンを買って引き返してしまった。時間と体力を考えてしまって、挫けてしまったのだ。トホホ。情けない。 それでも、車と一体となって、夜の国道を走り抜け隣町への小さな車の旅は、少しだけ日常の憂さを取り去ってくれた気がする。 まだ、俺も生きている。 松田優作も38才で死んだ。 スティーブ・マクィーンも52才で死んだ。 石原裕次郎 も52才で死んだ。 何故、自分は54才で生きているのだろう。 少し衰えたとは言え、しようと思えばバスケットも出来るし、オートバイも乗れる。 車の運転など、少しの鎮痛剤とカフェイン入りの黒い飲料を飲めば何のことはない。どこまでも、夜明けまで走っていける気がする。 18才の頃から35才くらいまで、実際にそういうドライブは何回もしていた。 色々考えながら、ひたすら車を駆る。 眠くなれば眠る。コーラかコーヒー、菓子パンとタバコ。起きてまた運転。 今はコンビにもあるし、深夜営業のレストランなど日本中どこにでもある。 ここ十数年は一度は実行してみたかったことの1つが、車での無計画なひとり旅であり、もうひとつが、もっと度胸と体力を養って、オートバイでの気ままな旅だ。 家族やら、仕事やら、さまざまなしがらみで、それができなかったのが少しく口惜しい。 何の為に今まで頑張って来たか?と自らに問うてみると、その最大の目的は自由だ・・・と思う。 我ながら、とんでもなく自由な日常を送っているくせに・・・。 自由への渇望は止まらない。 仕事や家庭など、何の努力も忍耐も苦痛もないけれど、ある意味惰落した選択に思える。 多くの男達も、少しずつ真綿でしめられるように仕事やどうでも良い付き合いに、知らず知らずにがんじがらめに束縛される。心も肉体も。 愛車のハンドルとケータイをしみじみと手に触れながら、新たなる自由への旅立ちを密かに誓った。 次回はきっと。 そんな54才の晩秋の夜。 自分の愛車と、自らの意志と体力に感謝。 私は未だ正気で、飼い馴らされてもいず、自由だ。・・・と、幼稚かも知れないが、時々は深く実感していたい。明日の仕事への英気もひょっとして手に入るかも知れない。 ヘトヘトに疲れても良いから・・・。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |