コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ ネパールの思い出2007.10.19

「ネパールに学校を贈ろう」という趣旨のボランティアの会があって、地元の中学校の先生や生徒や保護者が集まって、空き缶や書き損じハガキや、テレホンカード等の換金できる物品の収集とで集めた数百万円のお金で、それを実行し、「見届けの旅」に随行医としてネパールというアジアの最貧国に出かけた。

このボランティア団体の中心的人物は、現在は市長で、私の青年会議所の先輩でもあった関係から、偶々、随行する予定であったドクターの欠員が起こり、またまたイヤと言えない気の弱い私にお声がかかったワケである。
この市長はとてもユーモアの心得のある愉快な人で、ありがたいことに、旅中は、ホテルもテントもまるまるずっと同室であった。

ズルズルと断り切れず、その年の12月には予定どおり香港経由のネパール行きの飛行機の機上の人となった。
ドナドナドナ〜〜〜ド〜ナ〜〜。引かれ牛の心持ちである。
香港は初めてであった。
空港で驚いたのは、日本人の若者である。
みんな床に座る。今でいう「ジベタリアン」。
年輩の人は男女共、立って、トランジットの手続きを待っているのに、皆が皆、日本人だけ座っているので一目で人種の選別ができる。
あまり、美しい光景ではなかった。

日本航空から、カレーの匂いのする、ロイヤルネパール航空の少し年季の入った飛行機に乗り換え、ネパールのカトマンス空港に降り立った。
先生や、生徒保護者の総勢20数名の団体である。

空から見るネパールは、予想どおり昔、日本の戦前の山間部の田舎はこんな風であったろうなあというような、ウラ寂しい貧し気な田畑と山林のつづく荒地で、高速道路とかきらびやかな街並みとかのまるで見られない荒涼とした山あいの国であった。
首都カトマンズは、そのエキゾチックな響きの呼称とは違って、石と木造の埃っぽく古い街で、露店のつづく通りには、冬にもかかわらず裸の子どもや、草履きの、いかにもみすぼらしい肌色の濃いインド人系の人々の列が虚無と失意に満ちた無表情な顔々を連ねて、所在なげに、無目的にゾロゾロと蠢いていた。
当時、失業率90%だそうである。

道路のところどころには、脱糞がしてあり、物売りの少女達が、金属の細工物を売りつけようと私達に群がり、ただ手を差し出すだけの年老いた老婆や、成人の物乞いもいた。
日本の硬貨も地元では数千円から1万円くらいの価値があるらしく、リッパに通用した。何しろ1990年代で、GDP2万円の国である。ちなみに、当時の日本のGDPは300万円くらいだったと思う。

カトマンズからバスで数時間くらい揺られ、その後、徒歩で荷物を持って、また数時間。
やっと辿り着いたのが目的の村のレンガ造りの学校。
道路といっても、殆どケモノ道。時々虎が出るなんて脅されながら、歩くのが苦手な私は自分の弱気さ(イヤと言えない)を心の内で思いきり呪いながら黙々と歩いた。

毎日、毎日、朝から晩まで、ホテルのカレー味の料理に倦き倦きしていた頃、旅程の最終日にカトマンズ市内のレストランに、観光がてら日本料理を食べに行くことになり、寿司が出てきて、みんなおいしそうに食べていた・・・けれども私は、こんな山の中の国に生の魚なんて怪しいと、一口も口にしなかったが、案の定、帰りの飛行機では、子ども達を中心に、大人も腹痛と下痢のオンパレード。
典型的な食中毒だ。
手持ちの腹痛のくすりなどいっぺんに使い果たしてしまい、中継地の香港でくすりを調達することになり、夜の香港の街の薬局をまわって、色々な地元の人々と話して得た結論は、特効薬はやはり我が日本国の「正露丸」ということになった。
多くの漢方薬、西洋薬を押しのけての、堂々たる存在感だ。
大幸薬品の人が聞いたら、さぞ喜ぶであろう。

その上確かによく効いた。お陰で随行医の仕事もとりあえずこなすことができた。
アリガタヤ。アリガタヤ。


追記【1】
衝撃的だったのは、やはり国の貧富の差だ。
これは二重の意味があって、国の貧富と個人の貧富。
私達の泊ったホテルはカトマンズでも最高級ホテルで宿泊者はヨーロッパ人か日本人の登山者だけ。

地元のネパール人は大概、大会社の経営者たちで、会議かなんかしていた。
そのことに対して、日本人の子ども達も特に情趣や哀感を催す風でもなく、当然のように振舞っていた。
ホテルの塀には鉄条網と鋭い剣柵が刺してあり、厳重な門扉と門兵がいて、周囲の貧しき人々からホテルの内の、富裕者と外国人を守っていた。
日本人は豊かさに馴れきっているという印象を持った。


追記【2】
ネパールの田舎のテントで見た星空は凄かった。手が届きそうなくらい空が近いのだ。
ホントに満天の星とはこういうものなのかと・・・。星がこんなにいっぱいあるのかと思うくらいキラキラと輝き、まるで広げた黒いビロードの天幕の上に、無造作に撒き散らした大量の宝石のように美しかった。
この星空はもう一度見てみたい。
ついでに、音もなくゆっくりとその光の星空を横切る人工衛星まで見ることができた。


追記【3】
ネパールの田舎の少年達は信じられないくらい晴れ晴れとした、屈託のない表情と、純真で素朴な物腰と、野山を軽々と走歩する俊敏な身のこなしで、私達を魅了した。
大概どこでもそうであるが、日本人の少年達は、野性とか純心という意味では、アジアやアフリカの辺境の子ども達からすると少し見劣りがする。

ナマステ(ありがとうございました)。


たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


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