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■ 美意識 | 2007.10.12 |
100人くらい人間を集めて来て、顔をコンピュータで平均化すると、美男美女の顔になるそうだ。 ということは、美=平均ということになる。 一般的な人々の会話でも、仕事上でも、「普通は・・・」と言って、自分の要求からハズれた出来事や、人物、行動を責める人が、時々いるが、この「普通」というのは、結構高い水準を指すのではないだろうか。 普通=平均=美 と考えれば、例えば100通りくらいの選択肢があったとして、その1つの選択は、最も標準、平均ということになると、極めて高い水準になると考えられる。その上「美しい」と少しばかり芸術的な評価や価値も加わるかもしれない。 中国の古典にも、「中庸は徳の至れるものなり」とある。 徳というのは人間関係上、とても重要な人間の存在価値の要素である。 中庸の深い意味は、ここで語れる程、カンタンではないので割愛しますが、「普通」とか「丁度良い」くらいにここでは便宜的に考えていただくと良いと思います。 そして「普通」「平均」「標準」「中くらい」「適切」等々、多くの言葉で表現されている世界は、言い換えるととても達成するのが難しい、美の世界とも言えるのだ。 フランスの書物でも著者は忘れたが、結構分厚い「徳というもの」なる題の本があった。 だから私の場合 ・ファッション ・言動 ・行動 ・マナー など、その場所、時間、目的に応じて、最も平均的なものを意識して選択している。さらに、男の服装の場合やはり「目立たないよう」にというひとつの美意識の基準を持っている。 今は、ファッション等、TVや街角で人々を眺めていると、変わった個性的なものが多いが、全体として集団として見ると、逆に極めて没個性的な結果となっているように見受けられる。 時々、何の飾り気もない、女性であるなら単色のワンピースとか、男性なら、最も標準的なスーツをキレイに着こなしている姿を見ると逆に「目立って、美しい」という印象を受ける。 「普通」という、美意識 「個性的」という、美意識 どちらが良いか、断言はできないけれど、50年か60年くらい昔の映画から現代の最新の映画まで観賞してみて、また、画像入りの歴史グラフィック等でファッションを見てみると、人間の持つ美意識にあまり変化が無く、どこかしら「普遍的」な何かを感じとることができる。 結論を言うと、それはやはり、バランスであり、平均であり、標準であり 女性は女性らしく 男性は男性らしく 老年は老年らしく 若者は若者らしく みたいな、結果的にはツマラナイ表現になってしまうようだ。 個性とか独創を目指されている方にはゴメンナサイです。 残念ながら、最近では美しい、つまりこの文でいう「普通」というのは好まれなくなったせいか日本の風俗、ファッションをメディアや雑誌で眺めた限りでは、あまり美しいモノは見かけない気がする。 みんな少しずつ変わっていて、どこかしら変だ。 その点、同じような国際都市ロンドン等に行くと、お決まりのブラックスーツ、グレースーツのカッコイイ男性達、女性達を数多く見ることができ、何となく元気が出る。 追記【1】 まとめてみると、自らの美意識を「普遍的」「平均」「らしく」というポイントに置かれてみられたらオモシロイのではないでしょうか。 追記【2】 ことファッションに限定すると、「美」をめざすなら、ひとつのコツとして「流行」過ぎないこと・・・。 かなあと思います。 30年あまり前のスーツでもやはり流行でないオーソドックスで普通なものは、今でも着ようと思えば着れる。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |