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■ 治療の敵そして味方 | 2007. 9.29 |
心の病気は、目に見えないので周囲の人に理解しにくい。 ER(救急救命室)等はTVで見ると、交通事故やら、銃創(日本では稀)やら、お年寄りの転倒やら、出血はするし、傷口も生々しく、最低でもレントゲンに写るので、患者さん本人や家族に説明しやすいし、周囲の人々とも直ちに事態を了解する。心も目に見えない血を流すのだ。 最近では、「心の病気」もPTSD(トラウマ後遺症)などメディアで取り上げられるようになり、少しは陽の目を見るようになって来つつある。 大きな災害の後に、医療対応としては、 【1】ER 【2】内科一般 【3】精神科、心のケア という順番で投入されるらしい。 特にアジア、確か台湾の自然災害の後遺症では「心のケア」「心の治療」の要請がかなり強くあったらしいことは、記憶されている方も多いであろうか。 表題の「治療の敵」はあまり穏当でない表現であるが、敢えて使わせてもらうと、率直に言って一番は意外にも「家族」である。 強力な味方でもあり得るし、敵でもある。 まさに「両刃の剣」だ。 家族ほど暖かいものはなく、また残酷なものはない。 親子兄弟、夫婦、姉妹、叔父、伯母、養父、養母、等、親族は「骨肉の争い」等よりも、その中身の愛憎劇は誠に深刻である。 昭和30年台、40年台の大家族主義的、家内騒動ホームドラマなど、昨今は殆ど見れなくなって、家族の残骸やら家族の残りカスやら、幻影やら、近頃の家族の中身のその多様さ、複雑さにはめまいを感じる程だ。 それらの家族の葛藤を紐解いて、単純化して、解りやすく家族のメンバーに説明するのも大事な仕事のひとつである。 時には、全く理解してもらえず、話さえ聞いてもらえないで途方に暮れることも数知れないが「まあ仕方ない」と諦めることが多い。 最も困惑するのが、やはり無理解な親である。 子供をいつまでも子供として対応するので、40才でも50才でも、時には60才くらいまでも子供扱いされる「大人」がおられて、或る意味で本当にお気の毒だ。 夫婦であれば、「切り札」として「離婚」という手があるが、「親子」の場合「子供」に自立する力がないか、親にその力を奪われている場合、子供にとって家庭が完全に牢獄となっているケースもある。 骨抜きの子供と、強大な親という組み合わせだ。もちろん逆もある。 このような深刻極まりないケースも、多くの場合、本人も親も、無自覚なことも多く、治療者としてはアタマが痛い。 そして、第二の敵は、「素人」の人々だ。 「心の問題」について、知識の無い人々。 全く無い無邪気な人の場合は、結構対処は難しくない。懇切丁寧に説明してあげれば良いのであるが、ある程度知識を持った人、或いは、宗教的、教条的、倫理道徳観念を強く持っている方については、難物とも言えるし、その教義がとても治療上、有効有益な場合もある。こちらも「両刃の剣」となる。 第三の敵は、メディアである。間違った情報である。これも意外に多い。 これらは、間違っていると認識されにくいところが問題となる。まさか、TVで嘘はないだろうと普通の人は考えるからである。 全く完全な嘘ではないが、少し違うみたいな情報TVでは度々流れるので、要注意だ。 心の治療の強力な味方は、はやり第一はクスリだ。このクスリについての偏見を解いていくのも、非常に大変な作業となる。 ヘタな心理療法やカウンセリング等よりはるかによく効く。 モチロン全く無効な例もあるが、緊急的にはとても有難いのがクスリなのである。 クスリと言っても、非常に強力な敵となるのが、逆説的に聞こえるが、アルコールというクスリだ。 これは巷に溢れかえっていて、お金さえ出せば、自販機でも買える「薬物」なので、人々は非常に安易に「心を慰める」薬物として、この液体性の薬物を、飲用し、常飲し、依存症となり、中毒になり、心もカラダも徹底的に痛めてしまう。 ホドホドの飲酒はモチロン健康上何ら問題ないけれど・・・。 そして、最良の味方は、入院設備とナースとカウンセラーとこれまたパラドキシカルであるが、理解のある家族である。両親や、夫や、妻や、恋人や、友人や、職場の同僚や上司である。中にはペットなんて味方もいる。 これらの安心して頼れる人物が一人でもいると治療上とても助かる。 医師もナースもカウンセラーも四六時中ついているワケにもいかないので、周囲の理解ほど助かるものはない。 しかし、これも皮肉なことに「周囲の無理解」の為に発症したという事実も多いので、ことは本当に慎重に進めなければならない。 世界的に有名な、交流分析という心理学の権威、ミュリエル・ジェイムズという女性は、10年程前米国のサンフランシスコ交流分析の学会でお会いし、当時確か70歳代であったが、素敵なスピーチをされて、心地の良い声と、若々しいとてもチャーミングな人であった。 この人のエピソードは感動的だ。 ミュリエルは若い時にレイプされた経験がある。 その後の母親の対応が素晴らしい。 心の傷ついた愛する娘を、何週間も何週間も抱きしめて、泣かせてあげたそうだ。 信頼している母親の抱擁ほど、強力な癒やしは無いであろう。 私も、孤独で自殺願望のある小学生の少年時代、酒に酔った父親が、近づいてきて私のことを殴るのかと思いきや、ギューっと抱きしめてくれたのを強烈な記憶として脳裏にとどめている。 その時の暖かい、気恥ずかしい安心感は今でも心にもカラダにも残っている。 私は愛されている。 私はOKだ。 ありがとうございました。 追記 1 「敵」という表現は少々過激であるが、敵というのはいつでも味方になり得るし、戦いを前提としていないのでご了承下さい。 一言で表現するなら、「心の病気」に「無理解な周囲の人々」というのがわたしの「敵」の一つの定義と言える。 追記 2 人間関係で最も難しいのは、世間の常識とは異なり 【1】親子 【2】兄弟 【3】夫婦 【4】職場 【5】学校 とつづく。 最も楽な人間関係は他人だ。外人だともっとスムーズだったりする。 追記 3 天涯孤独より家族のいる孤独の方が辛いかも知れない。 好きな人のいる人の孤独が「誰もいない」人の孤独より心痛であるように。人を好きになるから寂しくなるというのもあるものだ。 追記 4 他の医療機関という「敵」もある。 これは「誤診」であると断定されたり、「薬剤性の障害」だ。とか断定され同業者ながら全く反論しようがない上にスタッフや患者さん本人ともども、沈黙してしまう他ない。 「治るか」どうかを静かに見守るしかない。 自らも医者であるので、「自戒」を込めて思うところだ。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |