コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

[戻る]
■ 人間というもの2007. 9.25

アレキシス・カレルという偉大な人物のタイトルで「人間この未知なるもの」という著書があるが、少しあやかって、どうしても書いておきたいので筆を執っている。

人間が生きている上で、そのエネルギー源は3種類あると考えている。
第1は物質的エネルギー。
これは水や食物や空気などの、毎日、私達がごく日常的に摂取しているエネルギーである。

第2は、心理的エネルギー。
これは日常生活では見逃されやすいが、人から「認めてもらいたい」「受け入れて欲しい」「触れ合っていたい」という欲求が、自然に人間には備わっているようで、どうも「生きる」上で結構切実であるらしい。これまた、交流分析という心理学を学ばれている方はよくご存じと思いますが、出生後に、抱擁されたり、話しかけたり、あやされたり等、母乳やミルク以外のこの心理的エネルギーを与えられなかった赤ちゃんは正常に成長し、生きのびることはできないそうだ。
であるか、私達生きとし生けるものは殆どすべて母親もしくはそれに代わる養護者の手厚い心理的(或る意味、物理的エネルギーとも言える)エネルギーを受け取っている筈である。

第3のエネルギーは、霊的エネルギー。
人間は霊長類と言われるように、「神」という概念、もしくは、この宗教的響きがお好きでないならば、「全存在の創造主」「サムシンググレート」何かしら偉大なる存在というものを唯一認識している生き物だ。(案外、犬や猫、同じ霊長類の猿なども、そのような認識を持っているかも知れないが。)

この三つのエネルギーはキチンと分けられるものではなく、純粋に科学的にこれらのカラクリを検討してみても、それらが有機的に関連し合っている。
・・・ということが解かる。

人間やその他の地球上の生物は全て、純粋な意味で地球から離れて存在することはできない。

太陽の光のエネルギーを得て、水や酸素や、植物が生息し、それらを捕食して、肉食獣や人間が生きている。
すべての生き物、(ウイルスとかは不明であるが)小さなバクテリアでさえ、太陽の光のエネルギーを摂取せずには生命を保つことはできない。

即ち、現時点では、地球上の生命は太陽の光のエネルギーを「食」していると言っても過言ではない。
この当りまでは、小学生でも理解できることだ。

そもそも、「光エネルギー」とは何であるのか。物理学的には「粒子」と「波」の性質を両方持っていることになっているが、何故、そういう「もの」が存在しているのか?

誰も説明できない。
物理学の究極の謎「重力」ですら誰も説明できない。

「重力」と「光」いずれもとても重要で精微な物質的エネルギーではあるが、存在論的には、それこそどんな偉大で賢明な人間でも説明はできない。
説明はできないけれど、多少、宗教的且つ心理的に「それ」を呼称するならそれは「愛」と呼べるかも知れない。
愛とは「互いを引き合わせ結びつけるエネルギー」ではあるが神の愛=光=重力と呼べば何となく解ったような気分になる。

私達は「神の愛」の海の中を泳ぐ、魚のようなものだ。

どこか衒学的に感じられる方もおられると思いますが、
・物理的には、光
・心理的には、愛
・霊的には、重力
と考えることもできるし、すべてを愛と考えても良い。

人間は、死んだら、あの世に行くワケであるが、(これも不明であるけれども)少なくとも、天国とか地獄とか言うように「重力」というものを想像させる。
その上「登る」か「落ちる」かというとやはり登るほうが霊的だから「軽い」方が好もしいかもかも知れない。上にあがって天国に登れる。

話は、殆ど何の脈絡もなく飛んでしまうが、ミラン・クンデラの有名な小説「存在の耐えられない軽さ」という美しくも悲しい愛の物語があるけれども、この「軽さ」こそ、人生を生きるコツと言えるかも知れない。

とりとめのない話。読んでいただいてありがとうございました。


追記【1】
まとめてみますと
1、食物や水の摂取の仕方
2、人(自分も含む)から認めてもらうこと
3、確認、認識はできるけれども絶対に見ることはできないエネルギー
  重力もしくは霊的エネルギー
1、2、3とも愛と呼んでひっくくっても良いかも知れない・・・と私は考えている。全く、存在論的に。


追記【2】
アインシュタインではないが、何かしら全てを統一できる理論というものを、自分が求めている気もする。
フロイトも、エリック・バーン(交流分析)もそういう統一した理論を構築した。そういう意味で私のような凡人には「愛」という言葉はとても便利だ。
或る意味で、「思考停止」が起きるが、人間の思考の限界を越えたところが、どこかしら本物クサイので、メンドウクサガリの自分としては「愛」という言葉で全ての存在を捉えている。

追記【3】
重力が愛というのがピンと来なければ想像してみられると良い。
地球上にぶら下がっている生命の全ては重力が無くなれば、暗黒の宇宙に放り出されてしまう。
引力や重力を神の愛と呼ばずして何と呼べば良いのであろうか。

追記【4】
このように、いつも考えているので、私の「人間というもの」に対しての考え方、捉え方、対処の仕方はとてもシンプル、単純である。
人は全て愛であり、光であり、神そのものである。・・・と。


たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


濱田.comへ戻る浜田醫院(浜田医院)コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせいよくある質問youtubeハッピー講座