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■ 感謝のこころ | 2007. 9.18 |
「自叙伝」と「プライベート」をホームページから削除させていただきました。 誤解を避ける為とやはり羞恥心が動機だ。恥の多い過去だ。 さらに、文章というのは、書いて見ると、嘘ではないけれど真実でもない」ということに気づいた。 文章が整い美しくなればなる程、真実から遠のく。 そんな気がする。 仏陀もキリストも、言葉は残したが書物は残していない。何かしら当然のような気がする。 古今の歴史書等、本当には真偽は不明。つきつめれば真実は全て謎なのだ。一番の虚偽かも知れない。 フィクションである小説や文学の方が、その時代の実相をより多く語るらしい。 平安時代の「歴史」より「源氏物語」の方がはるかに真実クサイ。 だから益々、新聞や雑誌やTVやインターネットは信じられない。「書かない」という嘘もあるし美しい言葉や耳障りの良い言葉で文章を「飾る」という嘘もある。 何かしら、背景に「意図」を感じる時もある簡単な「て」「に」「を」「は」でも文章の印象は一変するものだ。 というワケで、できるだけ心に残る、何かしら心の奥底を自然に納得させる、有益な言葉を他書から拾ってみたい。 『感謝の心は、奇跡への扉を開き、天の恵みを倍増する』 もし人生で恵まれないと思うなら、 あるいは人生の質を今よりもっと高めたいと願うなら、 この古代からの手法を磨きなさい。 人生のあらゆる分野を向上させるために、 もちろん豊かになるためにも。』 「レムリアの真実」太陽出版 私自身の心の底に響く言葉であった。 或る不運続きの方に、唐突に「開運する方法を教えて下さい」と問われ、すぐに心にこの言葉が浮かんだけれど、その方の目の表情とその相貌やその方の背景を考えて、この言葉を伝えるのを差し控えた。違う開運法をお伝えした。伝わらないと思ったからだ。 言葉の理解というのは、難しいものだ。 何度も痛い目にあった。 結局「言葉が響き合う」「共鳴する」ところまで行かないと、本当の意味の理解はできないと思う。 「感謝のこころ」 「ありがとうの言葉」 いずれも確実に人生を良運に良縁に導く。 ありがとうございました。 皆様の開運を心より祈念しつつ。 追記【1】 言葉には限界がある。 例えば、食べ物の味やSEX。万巻の書に書き綴ってもそれを食べるそれを「する」には、とうてい及ばない。 とは言え、言葉と現象や事実や感覚の落差や間際に入り込む「想像力」に文章を読むという行為の醍醐味がある。 追記【2】 感謝の心というのは、思考が介在しないと生じない。つまり意図、意識が要る。もっと言えば「感謝をしよう」という意識、意図がいるのだ。 ボーっとしていると、人間の場合、普通、不平不満のカタマリになる。 ボーっとしながら「ありがたいなあ」「しあわせだなあ」と思っていなくても「言葉にする」「心に思う」ことをお勧めする。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |