コラム[ひとくち・ゆうゆう・えっせい]

コラム:ひとくち・ゆうゆう・えっせい

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■ 花2007. 8.26

最近は、花を買うことが多くなった。
もともと花が好きだったワケではない。
結婚式や、葬式や、何よりも誕生日や、さまざまな記念日に花を贈るというのが習慣化しているからだと思うけれど、何よりも不思議に思うのは、母が3年前に他界してから、自然に頻繁に墓参りをするようになり、自然に自分で花屋に行き、花を選びながら「母の好きな花」を、根拠の無い確信を持って選択している自分の行為の根底にある心のありようだ。

そんな会話をしたこと等、生前は一度も無かったのにである。
母は事実、とちらかというと、飲食や料理を好み、「花より団子」というタイプの人で、合理性を重んじ、無駄を嫌っていたから、尚更、奇妙な自分の行為だ。

日本の気候であると、「花の命」は短い。生花だと、ほんの数日で枯れてしまう。
時々、お墓の為の花を買いながら、誰が見るワケでもなく、その香りを楽しむワケでもなく、我ながら「何という無駄遣い」という感覚を持っていつつ、「花買い」は止まらない。

花を買いながら思うことは、しかし、「生命のはかなさ」だ。

「花の命は、短くて、苦しきことのみ多かりき」なんて時々、歌も脳裏に浮かぶ。

どんなに美しく、爛漫と華麗に咲き、誇ろうと、それは必ず枯れてしまう。そのうえ、あまりに美しい花は、逆にその水々しい生命の輝きと同時に、その未来にある着実で厳然とある「枯」や「死」を見てしまう。

人生も後半に入ると、そんなことばかり考えている。鬱病かも知れない。


追記
人に花を贈ると、いつも思うのは【1】その相手の人が花束を持って写っている写真を、特に女性の場合、【2】送ってくれるのを見て「【3】その人の方がはるかに美しい」ということだ。
そして、それは年齢とか、容姿とかはあまり関係なく、普遍的とさえ思える感覚だ。

ハワイの85才になる友人が、世界で最も美しいのは、「女性」とヌケヌケと言い切ったのを思い出す。
ちなみに、その極めて広い知識を持つ彼によれば、2番目はオーロラで、3番目は星だそうな。
オーロラはともかく、田舎に住んでいれば星なんていつでも見れる・・・と思いながら、近頃はしみじみと星を眺めることなど殆どないことに気づいた。
それ程、心が騒々しく、落ち着きが無くなっているのかも知れない。
鬱状態になる筈だ。
我ながら情けない。

やはり、花は神の創造物としては美の象徴と思えるが、美の本質とレベルからすると、「人間の女性」の敵ではない。ということか。
花は単なる飾りなのであろうか?

何かしら、人類や人生に対して、重大なメッセージを持って存在しているのかも知れない。

咲くも無心、散るも無心。
花は嘆かず、今を生きる。

ありがとうございました。


たくま癒やしの杜クリニック
浜田朋久


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