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■ お盆 | 2007. 8.16 |
父親の横浜での病院勤務時代に、大学生として間借りしていた、母の姉、つまり叔父が今春、他界して今夏は初盆であった。 生前はこの叔父には我が子のように可愛がってもらった。 法事の読経の後の説教が心に残ったので急いでこれに記している。 件の日蓮宗の僧侶によると盆というのは正式には盂蘭盆(うらぼん)と呼ぶらしい。 インドのサンスクリット語の「ウランバーナー」という言葉に由来しているとのこと。 釈迦の高弟の一人「目連(もくれん)尊者」の物語。 目連は亡母に会いに行きたくなり、自らの「神通力」を用いて(この技術を目連は持っていたらしい) あの世に出かけ、母を探したところ、予想していたあの世の以下のような各界層 仏界 暮産界 縁覚界 聖聞界 天上界 人間界 修羅界 餓鬼界 蓄生界 地獄界など、 の上位界から、母親を探したところ、意に反して、何と餓鬼の世界で飢えと乾きに苦しんでいる母を発見する。 目連が食べ物や飲み物を与えても逆に体が火のように燃えてさらに苦しみを強めた。 目連は「この世」に戻り師匠の釈迦に相談すると目連に対して「あなたの母は子ども思いの立派な母であったけれど、あなたを愛し、慈しむ、育むにあたり、周囲に目を配ることができなかった。 つまり、自分の子、目連と他の子どもの「分け隔て」をした。また我が子を可愛さの為に「物惜しみ」をして、他の子どもへ、人々に与えることをしなかった。その結果、あの世の餓鬼界で苦しむハメになった。」と。 どうすれば良いですかとの問いに、7月15日。インドでは雨季と乾季の間の陗時にあたる頃、すべての僧侶を集めて、供養すれば良い。 これを実行したところ、母も救われ、母子で小躍りして喜んだとのこと。 このことから「盆踊り」も発祥したそうだ。 「吝嗇と自他の区別」を戒めたいかにも仏教的説話と言えるし、お盆での先祖や両親の定期的な供養の大切さを問いた、宗教的意図も感じる物語だ。 直木賞作家の浅田次郎の出世作「ぽっぽ屋」の中の短編に「うらぼんえ」という作品があり、標題のぽっぽ屋より、涙がいっぱい出る、お盆を題材にした物語がある。(詳しくは後述したい) お盆と言うと、日本全国、故郷への大移動が起こる。しかも夏の真盛り。 日本人の心の奥底にある「お盆には祖先が家に帰ってくる」という思想は、自然に人々の中に浸透していて、日本人の誰もこの帰省、というか「ふるさと帰り」に対して、何の違和感も持たない。 この事実は多くの日本人に宗教心が無いなどと言えない社会現象だ。イスラム教徒の聖地メッカ巡礼について異様とも言えない。 終戦も8月15日。 靖国神社参拝もある。 お盆も、8月15日も、普通の日本人にとっては特別な日なのだろう。きっと世界中のキリスト教の人々がクリスマスを特別な日としているように。 蝉の声の姦しい、入道雲と、濃い目の緑と、青空と、人々の顔ににじむ汗と・・・。 日本人の原風景と暗黙の仏教的思想が、晩夏の風物の中にありありと感じとれる。 ありがとうございました。 たくま癒やしの杜クリニック 浜田朋久 |