[戻る] |
■ サンセットブルー | 2017. 7.20 |
夏の夕暮れ。 熱せられた空気が青々と染められていく・・・。 その時の色が、時間帯が最も好きだ。 すべてが・・・町や山や川や人やクルマがとても美しい青色にいつの間にか染まり、それが少しずつ色濃くなっていく。 月夜の晩にはその青味がいつまでもつづく。 夜は街を青い空気の海の底に沈めて暗い水族館を思わせる。 家々の屋根とビルをオブジェとして、地面を人やクルマの這いまわる魚のいない水族館。 それらを眺めていると気分がとても落ち着いてくる。 その青い色がそうさせるのか・・・。 季節のうつろいを眺めながら思うのだ。 これから何度この美しい風景を見ることができるのだろうと。 たそがれ時の道路には車の前照灯と灯り始めた街灯や家々の光がチラチラと輝き、青染された空気に生活の香りを匂わせる。 或る事件をきっかけに一気に落ち込んだ気分に同調するようにこの夕暮れの青が幾分心を慰める。 心をどう整理して良いか分からないでいる。 本を読んでも良いのだけれども、こんな時は誰かしら自分を教え導いてくれる先生が欲しくなる。 話を聞いてくれ、混乱した思考のもつれをほぐし、整えて欲しいと心から思うのだ。 あくまで自分の心の問題なのでこれまでのように誰にも相談できない、話せない自分がいる。 とにかく心がブルーなのだ。 それは暗闇でもなく、モチロン灼熱の太陽に照らされた白々と輝く炎天下の地面でもない。 それが嫌いではないのにそのブルーな状態にいつまでも浸らされると思考がクリアにならない。 何かしら全身が虚脱して力を失った感じだ。 この憂鬱という名の青い水槽に入れられたまま一生を終えるのであろうかとさえ考えている。 モチロン絶望ではない。 希望や夢は山のように無限にある。 あ〜それなのに・・・どうしてもこのブルーから抜け出せないのか。 自分の心が情けない。 この閉塞感を打ち破るべく色々と思考を巡らせているがナカナカうまくいかない。 要は考え方の問題と自分に言い聞かせても心の底では納得しない自分がいる。 実のところ何も困っていない。 窮地に立たされているワケでもなく、心理的に追い詰められているワケでもない。 ただただ“その事”が頭に引っかかってモヤモヤしているのだ。 こんな経験は初めてである。 だからこそとまどっている。 そうして心理的解決法がめずらしく見つからない。 出来事としては客観的に見ると大したことではない。 けれどもそのことが個人の生活全般に暗い影を落とし自らの気分を重く沈ませている。 何かしら(?)とこの問題の意味を考えていると、もう少しで手の届きそうな鮮やかな回答が得られるような気もする。 久々にもがいている自分を感じる 何とかしようと焦っているのだ。 時間の流れで解決する問題ではあるのだ、自然に。 ただ半年とか1年を待つのが今の自分には苦手と感じる。 63才という年令を考えた時にどうしても未来の不透明さによって余命の問題によって以前のように待つことを苦手にしている自分を感じる。 一歩一歩、着実に地道に築き上げてきたものが大きく崩された時に何事も一気に挽回することはできない。 一攫千金的挽回法、たとえばギャンブルとか投資とかでは無理なようにまた最初から始めることだ。 崩された積み木を再び積み上げて立派な作品にするにはやはり時間が要るものなのだ。 人生で最も大切な資産、それは時間である・・・と思う。 その貴重極まりない時間と知恵を使ってコツコツと積み上げていくしかないのだ。 知恵、知識、技術、信用、信頼、お金、心の熟成、愛など有形無形を問わずそれら人生を実りのあるものにする為に必要な事柄すべてに豊かさ、確実さを与えるのはやはり時間しかないのだ。 悲しみを癒やすのにも時間がかかるように前記したものを取り戻すのにも時間を要する・・・それぞれに応じて・・・必要なのだ。 それは植林とか人材育成とかほど気の遠くなるほどの時間は要しない。 そう言えばサンセットブルーもサンライズブルーも時間が経てば自然に消えていくではないか。 書いているウチに不思議に物事や思考のもつれがほどけて来た。 整理されてきた気がする。 おかげで気分もだいぶ良くなってきた。 こんな場合、焦って衝動的に行動するのが最も良くない。 これは知識でも経験でも理解していることだ。 それをあらためて文字にし、文章にし、整理しておくことが人生生活にとってどれほどの益をもたらすか分からない・・・これまたあらためて気付かされたことだ。 有難いことに文章を書くことが多少義務的であっても何らかの癒やしと心の安定と知恵を授けてくれるものと明瞭に理解した。 とにかく悩んだら書いてみることだ。 このことは何かの本に書いてあった知識だ。 ありがとうございました M田朋玖 |